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旅行記 ・旧白石和太郎洋館 − 愛媛県八幡浜市保内 2020.02
 
旧白石和太郎洋館
旧白石和太郎洋館 
愛媛県の西に突き出した佐田岬半島の付け根に位置する
八幡浜市保内地区は明治期に愛媛県内で一番早く電気がともったり、金融機関が一番早くできるなど、
文明開化期をリードし、海運、鉱山、紡績など往時の主要産業が発展したところでした。
ペディメント(三角形状の装飾)
町並みを歩けばその栄光を今に
伝える建物や風景に出合うことができます。『ハイカラな街ほない、町並み見学用駐車場』と
書かれた看板のある駐車場の目の前が『旧白石和太郎洋館』です。
上下スライド窓枠の飾り
 木造瓦葺きの建物に洋風建築を
意識したデザインを取り入れた擬洋風建築物。玄関や窓の上部の屋根に施されたペディメント
(三角形状の装飾)、上下スライド窓を彩るアーチと柱状の窓枠、黒漆喰の外壁。
 
『杉野学園ドレスメーカー女学院認證校』の看板
内部の天井装飾、ペチカ、
キャピタル(柱頭飾り)。天井中央の照明器具を吊るすための飾りは、
玄関が世界地図、2階が果物カゴの形をしています。
奥行きをみせるため玄関の敷石は斜めに敷かれています。
外観はヨーロッパ調風の彫刻で装飾され
ギリシャ建築を思わせます。 1階の室内は近代的なオフィスの雰囲気を
思わせ、2階は小規模な個室に分かれ住宅を思わせます。
玄関の天井の飾りは世界地図
左官仕事によるこれらの細工は、
当時の技術の高さを物語っています。建築年代は定かではないですが、往時、鉱業・紡績業などで財をなした
白石和太郎が造らせたものといわれ、明治30年(1897)年代と推測されています。
当時のままの机やペチカ
平成17年(2005年)に
屋根の修理をした際、鬼瓦の裏面に明治36年(1903年)の新聞記事のインクが
写っていて、建築時期を示す有力な証拠とされています。
らせん階段
昭和25年(1050年)より平成元年(1989年)までは、
川之石ドレスメーカー女学院(のちに川之石ドレスメーカー専門学校と改称)として使用されました。
旧東洋紡績の女工さんたちや近郷近在のうら若き乙女たちの憧れの殿堂でした。
ドレスメーカー女学院の面影
地域の人々には『ドレメ』という愛称で
親しまれました。平成6年(1994年)、町が買上げて保存。明治の繁栄と専門教育の歴史を
今に伝えています。平成14年(2002年)八幡浜市指定有形文化財。
ドレスメーカー女学院の面影
白石和太郎(1868〜1915)は、
実業家、県会議員・川之石村長。宇和郡川之石浦(現西宇和郡保内町)生まれ、家業の酒造業を
経営しましたが、明治23年から共同経営で柳谷鉱山の採掘を始めました。
ドレスメーカー女学院の面影
明治24年(1891年)からは共同出資の白石鉱業会社を組織し、
川之石村大峯鉱山の採掘を始め、明治42年(1909年)宇和鉱業会社を設立してその代表者となり、大峯鉱山の
経営を続けて別子鉱山に次ぐ四国第2の銅産額をあげるまでに発展させました。
二階天井の飾りは買物かご 
明治20年(1887年)に四国初の
紡績業として創立された宇和紡績会社を明治38年(1905年)に買い受けて白石紡績所として
紡績業の経営にも当たりました。大正4年(1915年)8月、47歳で没しました。
上下スライド式のガラス窓
白石紡績所はその後
大阪紡績会社と経営者が変わり、さらに大正3年(1914年)から東洋紡績株式会社
川之石工場となり、地域経済の発展に大きな役割を果たしました。
上下スライド式ガラス窓のバランサー(おもり)
 
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