♪Prologue
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藤川天神 〜 南洲翁ゆかりの地(2) − 鹿児島県薩摩川内市
本HPの管理者が住む隣町の薩摩川内(せんだい)市東郷町には、大宰府で亡くなったはずの菅原道真公が、実は難を逃れて筑前から船で脱出してこの地に到着し、余生を送ったという伝承を持つ藤川天神という神社があります。明治7年か同8年頃、参詣にきた南洲翁(西郷隆盛)は境内で、兎狩りが得意な一匹の犬と出会います。やがて西郷さんの愛犬となる”ツン”という名のメス犬です。その銅像が参道脇に建てられています。鹿児島も今年は2月下旬になっても冬の寒さを引きずり、藤川天神の臥龍梅も満開になるのが例年より遅くなりました。梅の花が満開になった3月10日、藤川天神を訪ねました。   (旅した日 2012年03月10日)
       
       
西郷どんのツン
『ツン』の銅像は、体高60cm、体長80cmでほぼ等身大。日本芸術院会員の中村晋也鹿児島大学教授(当時)が制作。
西郷どんとツンの由来
明治7、8年頃、藤川天神に参詣の西郷どん(西郷さん、西郷隆盛)は、藤川牧野の前田善兵衛が飼っていた名猟犬のツンを見て懇望した。ツンは虎毛の左尾の牝犬で兎狩りの逸物であった。三原隼太なる人を経て贈られた西郷どんは喜び、自分の乗馬を三原に与え、前田には金20貫を与えた。その後ツンははるばる藤川を慕って二度も帰ったと言い伝えられている。NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の放映を機に110年を経た今『ツンの像』を建てる。                
 平成2年2月吉日   西郷隆盛愛犬『ツン』銅像建設委員会
 
菅原神社(藤川天神) 
菅原道真公を祀る菅原神社(藤川天神) 拝殿。 
菅原神社(藤川天神)の由緒
一般に藤川天神と呼ばれ、学問の神様として人々に慕われている菅原道真公をお祀りしています。延喜元年(901年)、藤原時平のそしりにあい、右大臣(現在の副総理)から太宰権現(だざいごんげん、九州政庁の副長官)に左遷された菅公は、その後も藤原時平の陰謀を恐れて大宰府で病死をよそおい、ひそかに舟で薩摩に下り、此処、藤川北野で静かに余生をおくられたと言い伝えられています。
臥龍梅が満開の参道
第二鳥居の北側の石垣の囲い(写真下)は、管公の墓所と伝えられ、臥龍梅(がりゅうばい、昭和16年(1941年)国の天然記念物指定)は、道真公が自ら植えられたものと言われています。
石垣囲いの場所が菅原道真公の墓所と伝えられています。
神社は、道真公が亡くなられて間もなく建立されましたが、天正15年(1587年)豊臣秀吉軍の兵火により社殿その他を全焼、正保4年(1647年)島津久光公が再建、文化13年(1815年)大改修がおこなわれ、明治35年(1902年)には村をあげて菅公一千年祭が盛大に執り行われました。昭和58年(1983年)本殿を大改修、平成9年(1997年)には拝殿並びに参道の改修を行い今日に至っています。
第二鳥居越しに眺める満開の梅の花 
 
がりゅうばい
臥龍梅
約40アールの梅園に花を咲かせる150本の梅の木
藤川天神境内の約40アールの梅林に、梅の木約150本があります。このうち、50株の梅は、まるで伏した龍のように幹を地上に這わせて咲く臥龍梅です。2月中旬から3月上旬にかけて甘い香りとともに薄桃色の花を咲かせます。国指定天然記念物。
龍がたわむれている姿に映る『臥龍梅』
伝説
『梅が香もかたじけなさも身にしみておぼえず袖に散る涙かな』 天保(1830年 - 1843年)の歌人・八田智紀が参拝の折、歌った藤川天神の梅は、昭和16年(1941年)天然記念物として国の指定を受け、藤川天神臥龍梅として県内は勿論広く人々にしたしまれております。
満開の梅の下でお弁当を楽しむ家族連れ
太宰府権師に左遷された菅公は藤原時平の暗殺計画を知り、大宰府にて病死したとよそおいひそかに舟で脱出し、出水海岸に上陸阿久根田代を経てこの地に到着、余世を送られたと伝えられております。この臥龍梅は、常に梅を愛された菅公が自ら植えられた一株が次第に繁茂し、その枝先が地に垂れてはそこに根を生じ四方にひろがり、今ではどれがその本株かわからいない。その名『臥龍梅』にふさわしくあたかも数拾匹の龍が40アールの庭園にたわむれている姿に映ります。〜 以上、案内板より。
 約150本の梅のうち、50株が『臥龍梅』です。
 
 愛犬ツンと西郷隆盛像
                   
                   
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