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有馬温泉 |
『ねね橋』から有馬川の下流、『太閤橋』を見る |
有馬温泉 有馬温泉は兵庫県神戸市北区有馬町にある日本三古湯の温泉。林羅山の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされていました。泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと伝えられています。 |
『太閤橋』から有馬川の上流、『ねね橋』を見る |
この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していました、ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったといわれています。有馬温泉の金の湯から銀の湯に向かう途中にある『ねがいの庭』には、『有馬の恩人』といわれる行基上人と三羽のカラスの像があります。 |
『ねね橋』と『ねねの像』 |
『日本書記』にも、欽明天皇( 631年)や孝徳天皇( 647年)が御幸したとの記述があり、日本最古の温泉といわれています。有馬温泉が世に広く知られるようになったのは、奈良時代に行基菩薩が温泉寺を建立し、また、鎌倉時代には仁西上人が十二の宿坊を建ててからといわれます。 |
『ねねの像』 |
さらに太閤秀吉は、湯治のためたびたび有馬を訪れ、戦乱や大火で衰退した有馬の改修を行い、湯山御殿を建てました。江戸時代になってからは、その効能により全国でも評判の湯治場となった有馬には多くの人々が湯治に訪れ、有馬千軒といわれる繁栄をするにいたり、その繁栄はこんにちの礎となっています。以上、現地の説明板より。 |
『太閤橋』 |
太閤秀吉が始めて有馬温泉を訪れたのは天正11年(1583年)のことでした。明智光秀との山崎の合戦、後継争いで対立していた柴田勝家との賤ヶ岳の戦いなど、長らく続いた戦で疲れた心身を有馬の湯で癒しました。その後も再三有馬を訪れた。その縁で、『太閤通り』や『太閤橋』、『ねね橋』が観光名所になっています。 |
『湯けむり広場』に建つ太閤秀吉公像 |
湯本坂 |
『花山椒』の暖簾を掛けた佃煮の『大黒屋』 |
湯本坂 太閤通り沿いにある阪急バス有馬案内所の角を折れてすぐのところにある『金の湯』から約600m続く細いつづれ折りの坂道が湯本坂(有馬本街道)。昔ながらの格子戸が並ぶ風情ある路地の両側に食事処、スイート店、お土産屋、老舗店など様々なお店が軒を連ねていて、湯上り後の散策の人気スポットになっています。 |
『神戸旅靴屋』有馬温泉店 |
金の湯と銀の湯 有馬温泉には、日帰りで利用できる公共の外湯として『金の湯』と『銀の湯』の2箇所(有料)があります。湯本坂を登り始めたところにある金の湯は、有馬温泉の2大源泉のうちの『金泉』を楽しむことができる湯です。金泉は、塩分と鉄分を多く含んだ褐色の湯で、お湯に浸かると腕も足も見えなくなるほどの濃い濁り湯です。 |
日帰り温泉施設『金の湯』 |
塩分と鉄分が多いため、関節痛や冷え性など様々な症状に効果があるといわれています。一方、『銀の湯』は、神社やお寺が集まる寺町界隈にあり、こちらは有馬温泉の2大源泉のうちの『銀泉』を楽しむことができる湯です。銀泉は炭酸泉とラジウム泉の混合で、無色透明のお湯で、新陳代謝を促進し、高血圧などに効果があるといわれています。 |
太閤通りから湯本坂への入口 |
善福寺 行基が開基し仁西が再興した曹洞宗の寺です。この寺の聖徳太子像は国の重要文化財で鎌倉時代の作。樹齢 200年を超える一重のしだれ桜はイトザクラと呼ばれ、神戸市民の木に指定されています。伝わる大ぶりの茶釜は、阿弥陀堂の住職の頭の形を面白がった秀吉が、その形に似せて利休に命じて作らせたものだそうです。 |
善福寺と寺下のお店 |
泉源 |
御所泉源 |
7つの泉源 有馬温泉街には、天神泉源、有明泉源、炭酸泉源、太閤泉(飲泉場)、極楽泉源、御所泉源、妬(うわなり)泉源の7つの泉源があり、その全てを歩いて気軽に見て回ることができます。『御所泉源』は、『金泉』が湧出している泉源のひとつで塩分濃度日本一位といわれ、とてもしょっぱい泉源です。 |
妬(うわなり)泉源 |
『妬(うわなり)源泉』も『金泉』が湧出している泉源。そのちょっと変わった名前は、美しく化粧をした女性がそばを通ったとき、お湯が嫉妬して高温になり噴出したという言い伝えが由来だそうです。『太閤泉(飲泉場)』は『金の湯』の入口横に瓢箪型の飲泉場を設けたもの。但し、『飲めません』という表示がありました。 |
太閤泉の飲泉場(但し、現在は飲めません) |
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