♪秋の歌(チャイコフスキー)
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安心院の鏝絵(こてえ) − 大分県宇佐市安心院
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大分県宇佐市街から車で約20分南下したところに、『安心院』と書いて『あじむ』と読む、人口約8,500人の山間の町があります。地名の由来は、当地が古来、盆地湖から徐々に干潟となり芦が生えてきて、芦生(あしぶ)の里と呼ばれていたこと、中世に宇佐神宮の院(荘園の倉庫)があったことに由来すると言われています。安心院は、ワインとすっぽんと鏝絵(こてえ)で知られた町です。鏝絵は、左官が家の壁を塗るとき、土蔵や家の戸袋、壁などに鏝(こて)で描いたレリーフのことで、漆喰装飾の一技法です。安心院では、明治初頭から盛んに制作されるようになり、いまでも70余ヶ所で鏝絵を見ることができます。安心院ワイナリーや安心院の田園風景とともに、鏝絵のいくつかをアップロードしました。
                                       (旅した日 2007年09月)
安心院(あじむ)ワイナリー

    安心院のぶどうとワイナリー

昭和42年(1967年)〜46年の国営パイロット事業で当時西日本一の面積を誇る350haのぶどう団地が安心院に完成しました。その後ほぼ30年経った現在平成17年では、合計で193haとなっていて、デラウエア、キャンベル・アーリー、マスカット・ベーリーA、巨峰、ピオーネ、その他が栽培されています。

地元産のぶどうでワインを製造しているのが安心院葡萄酒工房『安心院ワイナリー』(写真)で、安心院盆地が一望できるすばらしい景観の地へ移転して、2001年10月に新たにオープンしたワイナリーにはぶどう畑、ワイン醸造場、ワイン貯蔵庫、試飲ショップなどが配置されています。










【Data】
三和酒類株式会社 安心院葡萄酒工房
(あじむぶどうしゅこうぼう)
〒872-0521
大分県宇佐市安心院町下毛798
(家族旅行村隣接)
TEL 0978-34-2210
http://www.ajimu-winery.co.jp/


折敷田地区の鏝絵

        鏝絵(こてえ)

鏝絵とは、土蔵や家の戸袋や壁などに描かれたレリーフ(浮き彫り)のことです。平に塗られた漆喰(しっくい)の壁面に鏝(こて)を使って薄肉状に盛り上げた浮き彫りを施し、彩色したものです。

安心院では、明治初頭から盛んに描かれるようになり、今でも70余ヵ所に鏝絵が現存し、全国でも一番の密集度を誇っています。  安心院の鏝絵には、戸袋一枚を使ったものや大壁一面を使ったものなど、ダイナミックな技法・手法が使われています。

図柄は、七福神、龍虎、鶴亀、獅子や風景などが描かれ、邪を遠ざけ、幸福を招く招福辟邪の祈り、五穀豊穣、子孫繁栄の願いが込められています。







賀来信子氏宅(折敷田)
図柄 『唐獅子・七五桐』
母屋妻壁、高吉・作、明治
(写真上)

獅子舞で身近なライオンは、神聖かつ獰猛な百獣の王とされ、文殊菩薩の騎乗獣でもあります。文殊菩薩は知恵の菩薩であり、獅子の力強さは、魔除けとなります。

保存鏝絵
図柄 『一富士、二鷹、三茄子』
蔵戸袋、長野鐵蔵、明治23年
(写真上)

安心院を代表する左官の大棟梁・長野鐵蔵(1848〜1927年、安心院町龍王出身、門人14名)が明治23年(1890年)に製作したもので、安心院町大仏の上鶴精さん宅の蔵の二階の戸袋にあったもの。平成16年(2004年)、保存のために取り外し、安心院町楢本の鏝絵師永田知徳さん(68才)が、7ヶ月かけて修復。現在の所有者は本通促進会で、安心院本町通り『よこいよ公園』に、展示されています。













新作鏝絵(料亭・やまさ旅館)
図柄 『滝登りの鯉とすっぽん』
(写真左)

安心院すっぽん料理の老舗としても有名な料亭・やまさ旅館に飾られた新作の鏝絵。東椎屋の滝登りをする鯉の水音に、スッポンがびっくりしている絵だそうです。

佐藤正彦氏宅(下毛)
図柄 『恵比寿大黒・鯉の三番叟』
母屋戸袋、長野鐵蔵・作、明治28年
(写真上、右)

福の神の中でも最も人気があるのが、、大黒様と恵比寿様。鏝絵の画題の中でも、龍とともにもっとも数が多く、人気のほどが伺われます。

三番叟(さんばそう)とは、能の翁(おきな)の役名ですが、この鏝絵で面白いのは、猿回しが猿に演技をさせるように、
烏帽子(えぼし)を被った鯛が恵比寿様に踊らされています。長野鐵蔵の作で、ユーモラス、ユニークな発想の持ち主でもあったことを伺わせる作品でです。













縣屋酒造の新作鏝絵
縣屋(あがたや)酒造(写真下)は、正徳2年(1712年)創業の老舗。妻壁に描かれた毘沙門天・弁才天・布袋の図柄は、平成16年(2004年)作の新作鏝絵です。


重松家の鏝絵

重松忠一氏宅(折敷田)
図柄 『虎』
母屋戸袋、長野鐵蔵・作、明治17年
(写真上、右)

松竹梅の一員である竹林から出現する虎。実際、東南アジアでは最強の猛獣であり、強い力は魔物を寄せ付けません。疱瘡(ほうそう)などの疫病除けの意味があります。


重松家の三階建てと鏝絵
大工を京都に派遣し宮づくりの勉強をさせた後に建築させたのが、明治17年築の三階建ての建物(写真下)です。三階部分は、天守閣を思わせる造りになっています。

この建物の三箇所の戸袋それぞれに『虎』『龍』および『松』の、大壁に『富士山』の鏝絵が描かれています。富士山とは、
湯布院の由布岳、いわゆる豊後富士を描いたもので、いずれも長野鐵蔵の作です。









重松忠一氏宅(折敷田)
図柄 『富士山』
母屋大壁、長野鐵蔵・作、明治17年
(写真右)

重松忠一氏宅(折敷田)
図柄 『龍』
母屋戸袋、長野鐵蔵・作、明治17年
(写真左)

中国では龍は、麒麟・鳳凰・亀とともに四霊と呼ばれて、神秘的な動物であると考えられていました。水や雨に関係深いとされ、五本指の龍は中国皇帝のシンボルでもあり、富と権力の象徴とされます。

渦巻く黒雲の中から現れた『雲龍』は、雨の象徴とされています。稲作にとって水は不可欠な要素でした。恐ろしげな鏝絵の龍の目にはガラス玉を入れ銀箔を張り、その光る眼で悪霊をよせつけません。




龍王地区の鏝絵

古荘宅子氏宅(龍王)
図柄 『朝顔・雷』
母屋戸袋、長野鐵蔵・作、明治15年
(写真上)

雷光が走り、朝顔の花を模った紋様が配置されています。朝顔はたくさんの花を咲かせ、それぞれ実を結びます。そして、長い蔓を伸ばすので子孫繁栄を意味しています。建物の雰囲気にマッチした、なんて格調の高いデザインでしょうか。




















上田美津子氏宅(龍王)
図柄 『虎』
母屋妻壁、長野鐵蔵・作、明治31年
(写真右)

大江秋子氏宅(龍王)
図柄 『鷲』
母屋戸袋、長野鐵蔵・作、明治20年
(写真上)

鷲の図柄には、魔物から家を守る願いが込められています。鋭いくちばしや爪がリアルに描かれています。


龍王地区と鏝絵
安心院盆地の真ん中にあるのが、標高315mの龍王山。その南側のふもとを県道50号が通り、
奇岩が連続した名勝『仙の岩』があります(写真下)。龍王地区(写真左)は龍王山の北側の台地にあります。長野鐵蔵が龍王地区出身の左官職人であったため、龍王地区に見られる『朝顔・雷』『虎』『鷹』は、彼の作品となっています。

今回は取材できませんでしたが、妙菴寺というお寺の本堂の壁には、蓮の華と家紋を描いた長野鐵蔵作の鏝絵が残されています。






安心院盆地の田んぼでは、稲刈りが始まっていました。空のブルーと山の緑と稲穂の黄色、そして刈り取った稲の色。コントラストが綺麗でした(写真下)。



大地区の鏝絵

山村喜代行氏宅(大)
図柄 『浦島太郎』
母屋戸袋、佐藤本太郎・作、明治13年頃
(写真右)

鏝絵には、昔話や説話の一節を描いたものもあります。『浦島太郎』もその一つで、玉手箱を開けて一瞬のうちに白髪の老人となりましたが、実は不老不死の象徴だそうです。


写真上は、大地区の民家の佇まい。

岩尾嘉一氏宅(大)
図柄 『雁に人』
母屋戸袋、佐藤本太郎・作、明治20年
(写真左)

漁果を背負って空を見上げると雁が飛んでいます。晩秋をイメージさせる図柄です。

『浦島太郎』、『雁に人』とも佐藤本太郎の作で、彼は大棟梁・長野鐵蔵の弟子でした。色の淡さに特徴があります。





















訪れたのは9月の下旬でしたが、安心院は彼岸花が満開でした。夏の極暑を引きずって未だに残暑の厳しい日でしたが、緑陰には秋の気配がありました(写真下)。


矢畑・上河内野・水車の鏝絵

稔りの秋を迎えた安心院の素朴な農村の風景です(写真上)。ここから南に下れば、20km足らずで湯布院。電柱の向こうに
豊後富士(由布岳、1583m)が見えます。


矢野和馬氏宅(矢畑)
図柄 『小槌・鍵』
居蔵妻壁、山上重太郎・作、明治
(写真左)

打ち出の小槌は一寸法師の説話にもあるように、世を伸ばすだけでなく、宝を振り出す道具であり、蔵の鍵は手に入れた金銀財宝をしまっておく土蔵の象徴です。













赤野卓氏宅(上内河野)
図柄 『龍』
土蔵妻壁、佐藤姓・作、明治
(写真下)

土蔵妻壁は崩れかけていていて、建物の年期が伺いしれます。


矢野和馬氏宅(矢畑)
図柄 『富士山・舟』
居蔵戸袋、山上重太郎・作、明治
(写真右)

『日本一の富士の山』と親しまれているように、霊峰富士は日本の象徴です。富士を背景に海には帆かけ舟が浮いています。花びらの紋様(花菱)も配置した美しい図柄です。












佐藤町子氏宅(水車)
図柄 『波に兎・家紋』
母屋妻壁、江藤策一・作、明治
(写真下)

出雲神話の説話にある大国主命に助けられた因幡の白兎は大国主命(大黒様でもある)の従者であり、うさぎは月の精で、陰、すなわち水を表すといいます。また、うさぎは多産な山の神の使いともされ、安産と多産、子孫繁栄のシンボルとされています。波は水を表す意匠で、火事除けの意味を持っています。



飯田・荘・矢崎の鏝絵

本田雅人氏宅(飯田)
図柄 『鷲』
母屋妻壁、作者調査中、明治
(写真上)


糸永昇氏宅(荘)
図柄 『波に兎』
母屋妻壁、作者調査中、明治
(写真右)















斉藤昭一氏宅(矢崎)
図柄 『松に渓谷の鷹』
母屋戸袋、久保田嘉来郎・作、大正2年
(写真下)

鷹は猛禽類の王者で、強い力は魔物を寄せ付けない。松とともに描かれることが多い。一富士、二鷹、三茄子といわれるように、鷹の夢を見るとお金が儲かるといわれます。


【備考】本ページの説明文は、当地の観光協会で頂いた『鏝絵資料集』(安心院町教育委員会編集、平成9年2月発行)
     を参考にして書きました。
【編集後記】
安心院の鏝絵には一枚一枚にストーリーがあって、あふれる幸福への願いが感じられます。70余ヶ所あるといわれる鏝絵ですが、今回訪問できたのは20ヶ所だけでした。また機会を得て訪問・取材したいと思っています。
 レポート ・大分の鏝絵

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