レポート  ・特攻花   
− 特攻花 −
4月下旬。今年(2009年)も大金鶏菊(オオキンケイギク)が咲き始めました。キク科の一種で、花の色も形も黄花コスモスによく似た綺麗な花ですが、とても繁殖力が強く各地で野生化して生態系に悪影響を及ぼしかねないことから、現在、特定外来生物として栽培や譲渡、販売などが原則禁止されている花です[1]
 
この花は、別名『特攻花』とも呼ばれます。特攻基地だった海軍航空隊鹿屋基地周辺に多く群生し、毎年、特攻隊の出撃が始まった3月下旬頃から発芽し始め、出撃が続いた6月頃まで咲き誇ることから、いつしか『特攻花』と呼ばれるようになりました。また、出撃を控えた特攻隊員たちに旅館の女将や娘たちが手向けた花だという話もあります。
 
 ・大金鶏菊(オオキンケイギク)の写真を見る
 
一方、当時鹿屋基地の滑走路付近に大金鶏菊などは生えておらず、真実の特攻花はあくまで『桜』だという反論があります[2]。 2008年9月20日にフジテレビ系で放映された『なでしこ隊〜少女達だけが見た“特攻隊”』で、知覧基地を出撃する特攻隊員たちを見送っていたなでしこ隊の少女たちが手にしていたのは、確かに桜の咲いた枝でした(写真が現存しています)[3]
 
鹿児島県内の特攻基地として、知覧基地(特攻戦没者436名)と万世基地(201名)が良く知られていますが、その他にも、鹿屋基地(908名)、串良基地(359名)、出水基地(約200名)、国分基地(427名)、指宿基地(水上機特攻82名)、鹿児島基地がありました。これらの基地から多くの特攻隊員たちが南海に散華し還らぬ人となったのですが、鹿児島県本土と沖縄の中間に位置する喜界島に特攻の中継基地があったことを知ったのは最近のことです。
 
喜界島の位置を地図で確認する
  
第2次世界大戦中、喜界島は陸海軍部隊の基地とされ、 5,000人余りの兵士が常駐し、湾には海軍の飛行場がありました。本土の基地から沖縄のアメリカ艦隊に向かって飛び立った特攻機は、一旦、喜界島の中継基地で給油や整備をし、再び沖縄に向かいました。
 
基地は現在、喜界空港として利用されていますが、滑走路周辺には60数年を経た今もあたり一面に天人菊(テンニンギク)が咲き乱れるそうです。この基地から死の飛行に飛び立つ若き特攻隊員たちに、島の娘たちが情をこめて贈った天人菊の花束の種子が落ち、そして芽生え、この地に年々繁殖して現在の花園になったといわれます[4]。島の人たちは、『特攻花』と呼び、平和を願う花として大切にしているそうです。
 
喜界島の特攻花に興味を持ち、写真を撮り続けている女性カメラマンがいます。京都府出身の仲田千穂(なかた・ちほ、 1982年生まれ )さんは、短大生だった19歳の時、この花にまつわる話を授業で知り、衝撃的ともいえる感動を受けます。デザイナー志望だった仲田さんは写真家への道を選び、以来喜界島を訪ねては天人菊の写真を撮り続けてきました[5][6]
 
5年目の2005年に特攻花の写真集を出版、記念イベントとして写真展を大阪、東京、喜界島、金沢、舞鶴などで開催しました。また、この可憐な花の裏に潜む『戦争の真実』を高校生たちに語り継ぐ活動なども行なっています[7]。 喜界島を拠点に活動する兄弟フォークデュオ『DOKIDOKI』は、仲田さんとの出会いに感銘を受け『特攻花』という歌を作り、ライブ活動を続けています。
 
「特攻花」仲田千穂写真集 -太平洋戦争時、特攻隊へ贈られた花
 
真実特攻隊員に手向けられた特攻花が桜であったとすれば、鹿屋基地や喜界空港周辺に群生する大金鶏菊や天人菊は、特攻の歴史を記憶に留め、後世に語り継ぐ特攻花ということでしょうか。去る4月4日夜、鹿屋市では、戦没者 908人の名前が書かれた灯籠約 200個が川面に浮かべられ、また4月12日には、南さつま市加世田の万世特攻平和祈念館でも慰霊祭が行なわれ、平和が願われました。
 
【備考】下記のページがあります。
コラム ・5分間のフライト〜喜界空港
旅行記・喜界空港(旧海軍航空隊喜界島基地)−鹿児島県喜界町
  
【参考にしたサイト】
[1]オオキンケイギク - Wikipedia
[2]真実の特攻花
[3]千の風になってドラマスペシャル『なでしこ隊』
[4]【鹿児島県喜界町】喜界町のみどころ:観光マップ:観光情報
[5]「特攻花」写真集と写真展 仲田 千穂
[6]語りつぐ戦争(16)特攻花に、平和の想いを
[7]西成高校に今も咲く「特攻花」について
 

2009.04.22  
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