コラム  ・早春賦(そうしゅんふ)   
− 早春賦(そうしゅんふ) −
立春(2月4日頃)を過ぎれば、暦の上ではもう春ですが、『早春賦』(作詞:吉丸一昌、作曲:中田章)の歌詞に『春は名のみの風の寒さや』とあるように、このところ全国的に寒い日が続いています。
 
大分県の東海岸部に臼杵(うすき)という市があります。国宝・石仏で知られる臼杵市は、稲葉氏6万石の城下町で、古くは大友氏の拠点があったところです。市街地は起伏に富んで坂が多く、商店街から南に入った二王座(におざ)あたりは、漆喰の壁と重厚感のある瓦屋根の武家屋敷、寺院や古い蔵、そしてモダンな洋館などが建ち並び、江戸時代からの長い歴史を今にとどめています。
 
臼杵市はまた町人の町でした。転封された稲葉氏に従って岐阜から臼杵へやってきた商人たちが造り酒屋や商店を構えました。その歴史は、創業 150年以上を誇るフンドーキン醤油(味噌、醤油の生産量九州一)や『風邪には後藤散』のうすき製薬などの老舗によって今に引き継がれています。
 
チャンバラ(武家文化)オンリーの薩摩(鹿児島)などと違って、多様な文化が醸成され、混在しあってきた臼杵は、著者お気に入りの街の一つですが、その臼杵の街の静かな住宅街の一角に、早春賦の作詞者で国文学者の吉丸一昌(よしまる・かずまさ)記念館『早春賦の館』があります。
 
明治6年(1873年)に臼杵の下級武士の家に生まれた吉丸一昌は、貧困苦学の末、東大国文科を卒業し、東京音楽学校(現東京芸大)の教授に迎えられます。『早春賦』のほか、『故郷を離るる歌』『木の葉』『四つ葉のクローバー』『お玉じゃくし』などの作詞を手がけるなど、文部省唱歌の普及に尽力しました。
 
また、経済的に恵まれない若者たちのために『修養塾』という私塾を開設し、勉強や衣食住の世話を生涯続けたといわれますが、大正5年(1916年)に43歳の若さで世を去りました。
 
                   『早春賦』
             作詞:吉丸一昌、作曲:中田章
 
            1  春は名のみの風の寒さや
              谷の鶯歌は思へど
              時にあらずと声も立てず
 
            2  氷解け去り葦は角(つの)ぐむ
              さては時ぞと思ふあやにく
              今日もきのふも雪の空
 
            3  春と聞かねば知らでありしを
              聞けば急かるる胸の思を
              いかにせよとのこの頃か
 
大正初年の早春、安曇野(あづみの)にある穂高町(現在の長野県安曇野市穂高)を訪れた吉丸は、遅い安曇野の春を待ちわびるこの地の人々の思いを歌詞にしたといわれます。それを記念して、穂高川沿いのわさび田とニジマス養魚場が広がる景勝地に『早春賦の歌碑』が建てられ、毎年4月末に『早春賦音楽祭』が開催されるそうです。
 
一方、早春賦を作曲した中田章(なかだ・あきら、1886年〜1931年)は、あの名曲『雪の降る街を』の作曲で知られる中田喜直(なかだ・よしなお、1923年〜2000年)の父です。中田喜直には、『雪の降る街を』のほか、『夏の思い出』『ちいさい秋みつけた』など、夏・秋・冬の定番曲があるのに、春の曲を作らなかったのは、父の作品である『早春賦』に敬意を払ってのことだったそうです。
 
暦の上では春であるが、まだ寒い。とはいえ春の足音はどこからか聞こえてきて、樹木の膚を見てもかすかに春の息吹が感じられる。と俳句歳時記にあります。風邪など引かないよう留意して本格的な春の到来を楽しみに待ちましょう。
 
嬉しいことに、村治佳織(むらじ・かおり)さんのギター演奏で『早春賦』を聴くことができるので聴いてみましょう。(文中敬称略)
 → http://www.youtube.com/watch?v=9jYDtBgJ6PQ 
                               
 
【備考】
下記に旅行記があります。
旅行記 臼杵の町並み/二王座あたり − 大分県臼杵市
 
【参考】
二木紘三のうた物語: 早春賦
 

2008.02.13
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