レポート  ・遠野の曲り家とオシラサマ伝説   
− 遠野の曲り家とオシラサマ伝説 −
 
− 曲り家 −
 
岩手県遠野市では、千葉家や遠野ふるさと村、伝承園あるいは水光園といった観光施設で、江戸時代の南部(かつて南部氏の所領だった現在の青森県南東部と岩手県中部・北部)地方特有の住宅であった『曲り家(まがりや)』を見ることができます。
 
曲り家は、人の住む母屋(おもや)と馬のいる馬屋(うまや)が一体となったL字型の建築様式の住宅で、人馬が一つ屋根の下で暮らしていました。つまり、南部地方にはもともと『馬小屋』という言葉はなく、馬は別棟の小屋で飼われるのではなく、同じ建物内の部屋で暮していました。
 
曲り家は大きく分けて馬屋・土間・住居の3つの空間からなり、南向きに建てられた母屋(住居)の西部分から南へL字形に飛び出した部分が土間と馬屋でした。馬屋は、『マヤ』あるいは『ンマヤ』と呼ばれ、いつでも馬の世話ができるように住居空間の常居(じょうい)や台所から見えるようになっていましたから、常に馬の様子が監視でき、馬も人の生活を見ながら暮らすのでよく懐(なつ)くことになりました。
 
馬屋と住居空間をつなぐ土間は、大きなカマドがあって餌を煮たり、飼い葉置き場や農作業などを行う多目的な作業空間になっていました。馬屋の屋根には破風(はふ)があり、常居の炉や土間のカマドで焚く火の気は馬屋の屋根裏を通って排出されるので、馬の背を暖めることになりました。つまり、南部曲り家の建築様式は、人々の馬に対する深い愛情がそのベースになっていたのです。人と馬の愛情物語に起源しているのが『オシラサマ』です。
 
− オシラサマ伝説 −
 
オシラサマ(おしら様、おしらさま、お白様ともいう)は、東北地方で信仰されている家の神であり、一般には蚕の神、農業の神、馬の神とされています。神体は、桑の木で作った1尺(30cm)程度の棒の先に男女の顔や馬の顔を書いたり彫ったりしたものに、布きれで作った衣を重ねて着せたもので、普段は神棚や床の間に祀られています。
 
昔、遠野のあるところに貧しい百姓がありました。妻はなく美しい娘があり、一匹の馬を飼っていました。娘はこの馬をとても愛していて、夜になれば馬のところに行っては寝ていましたが、ついに馬と夫婦になってしまいました。ある夜このことを知った父は、翌日娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につりさげ殺してしまいました。
 
このことを知った娘は驚き悲しみ、桑の木の下に行き、死んだ馬の首にすがって泣け叫びます。父はさらにこのことを憎んで斧で馬の首を切り落とします。すると、たちまち娘はその首に乗ったまま天に昇り去っていきました。オシラサマというのは、このときよりなった神であると言われます(柳田国男・著『遠野物語』69話より)。
 
さらに、遠野の一部では、つぎのようにも語り伝えられていると、遠野物語付・『遠野物語拾遺』77話にあります。
  
『私はこれから出て行きますが、父が後に残って困ることのないようにしておきます。春3月16日の朝、夜明けに起きて庭の臼(うす)の中を見て下さい。父を養う物があるから』と言って、娘は馬と共に飛び去っていきました。その日になって、父が臼の中を覗いて見ると、馬の頭をした白い虫がわいていました。それを桑の葉でもって養い育てたと言います。
 
遠野市内にある観光施設『伝承園』の曲り家『旧菊池家住宅』の奥座敷に設えられた『おしら堂(御蚕神堂 )』には、千体のオシラサマが安置されています。
  
 ・伝承園のオシラサマを見る
  → http://washimo-web.jp/Trip/Toono01/toono135.jpg
 
【備考】
下記の旅行記があります。
旅行記 ・遠野の曲り家 − 岩手県遠野市
 

【参考サイト】
(1)eきたいまち遠野
   → http://e-machi.tonotv.com/magariya/index.html
(2)【いわての住まい】曲り家
(3)南部曲り家
   → http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70-40.html
 

2010.03.17  
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