レポート  ・マルスウイスキーと岩井喜一郎   
マルスウイスキーと岩井喜一郎
2021年1月24日、『続く原酒不足 国産ウイスキー、メーカー苦心』という時事通信社のネットニュースが配信されました。ウイスキーをソーダで割って飲むハイボール人気に加え、国産ウイスキーの国際的な評価が高まりウイスキーの消費が伸びている中で、原酒には熟成期間が必要で生産が追い付かず、国産ウイスキーの原酒不足が続いているというのです。
 
ウイスキーの国内消費量の推移を調べてみると、1971年にウイスキーの輸入自由化が始まったこともあって増加を続け、1983年頃には1970年頃の2倍余りの消費量に達します。
 
しかし、この頃酎ハイ(焼酎の炭酸割り)ブームが起こり、またウイスキー価格が引き上げされたこともあって、ウイスキーの消費量は1983年をピークに急激に落ち込み、2007〜08年には1970年の頃の消費量まで落ち込みます。
 
ところが、2009年頃にハイボールブームが再来して消費量が回復、さらにテレビドラマの『マッサン効果』や国産ウイスキーの国際的評価の高まりが拍車をかけ、以後、右肩上がりの状況が続いているのです。
  
2014年に放映されたNHKの連続テレビ小説『マッサン』のモデルは、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝でした。大正時代に国産ウイスキー造りに情熱を燃やした造り酒屋の跡取り息子の奮闘を描いたドラマで、たちまち人気になりました。
 
 竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年〜1979年)
 
ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖。これらの業績から『日本のウイスキーの父』と呼ばれます。広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)で酒造業・製塩業を営む竹鶴敬次郎の四男五女の三男として生まれます。
 
大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の醸造科にて学ぶ。この進学は、兄二人が家業の酒造りを敬遠した故でもあったといわれます。大阪高工の先輩で、摂津酒造の上司であった岩井喜一郎の命を受けてスコットランドへ派遣されます。
  

 
薩摩半島の南西部、鹿児島県南さつま市津貫(つぬき)に、わが国最南端のウイスキー蒸溜所である本坊酒造株式会社マルス津貫蒸溜所があります。本坊酒造は、甲類焼酎『宝星焼酎』や本格焼酎『桜島』、『石の蔵から』、ウイスキー『マルスウイスキー』、ワイン『マルスワイン』などを製造・販売している総合酒類メーカーです。
 
工場は鹿児島県内の他、長野県(ウイスキー部門)と山梨県(ワイン部門)に置いています。昭和24年(1949年)鹿児島でウイスキー製造免許を取得しましたが、本格的なウイスキー造りの理想の地を求め、昭和35年(1960年)からの山梨時代を経て、昭和60年(1985)に長野県駒ヶ岳山麓のマルス信州蒸溜所へ受け継がれ現在に至っています。
 
平成28年(2016年)に津貫工場内にウイスキー蒸留所『マルス津貫蒸留所』を新設。ブランド名の『マルス』は、自社の甲類焼酎・宝星焼酎の『宝星』から引いた火星の英語Mars(マルス)に由来します。
  

 
 岩井 喜一郎(いわい きいちろう、1883年〜1966年)
 
マルスウイスキーの生みの親である岩井喜一郎は、1902年に大阪高等工業学校醸造学科を第1期生として卒業。陸軍技手、宇治火薬製造廠酒精工場長として着任、1904年に麹の糖化による日本式アルコール製造法の基礎を確立。
 
1909年、合資会社摂津酒精醸造所(後の摂津酒造)に入社。摂津酒造時代、アルコール連続蒸留装置の考案、新式焼酎、酒精含有飲料を全国に率先して製造、合成清酒を開発するなど常務取締役兼技師長として活躍します。
 
酒類業界においては、工業的大量生産の創始とされアルコール精製技術の第一人者として知られていました。1918年、岩井は、大阪高等工業学校の後輩で、部下であった竹鶴政孝をスコットランドへ派遣します。
 
竹鶴が日本人として初めてウイスキー造りを学び、帰国後、日本でウイスキー事業を開始するため、岩井に提出した報告書が、今日の国産ウイスキーの原点となる『ウイスキー実習報告書』いわゆる『竹鶴のノート』です。
 
1934年、大阪帝国大学工学部講師に就任。その当時、同大学生であった本坊蔵吉(本坊酒造創業家の七男)が岩井に師事、卒業論文で『蒸留機』をテーマに研究、縁あって蔵吉は岩井の娘婿となり、1945年、岩井は本坊酒造の顧問に就任します。
 
蔵吉は、恩師であり岳父である岩井の指導を仰ぎ、経営の傍ら研究・技術者として本坊グループ各社の製造技術の確立と品質向上に大きく貢献していきます。1960年、岩井は、ウイスキー部門の計画を任されます。
 
岩井は、『ウイスキー実習報告書』をもとに山梨工場でのウイスキー蒸留工場の設計と製造指導に携わります。こうして、ジャパニーズウイスキー創生までさかのぼり歴史的系譜で繋がる『マルスウイスキー』が誕生しました。(文中敬称略)
 
次の旅行記があります。
 ■旅行記 ・マルス津貫蒸溜所 − 鹿児島県南さつま市
 
【参考資料、出典
(1)竹鶴政孝 - Wikipedia
(2)岩井喜一郎 - Wikipedia
(3)マルス津貫蒸溜所のウイスキー蒸溜棟の説明パネル『マルスウイスキー
   生みの親・岩井喜一郎』 

2021.01.27
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−