レポート | ・九州の木蝋、ハゼの名所 |
− 九州の木蝋、ハゼの名所 −
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木蝋(もくろう)は、ウルシ科のハゼノキ(櫨の木)やウルシ(漆)の果実から採取される脂肪で、かつては蝋燭(ろうそく)だけでなく、鬢付け(びんつけ)油、艶出し剤、膏薬(こうやく)などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていました。 今でもわが国の国技である相撲では、お相撲さんの髷を結う鬢付け油には木蝋が欠かせないそうです。あの激しいぶっつかり合いで、その他の油ではバラバラになってしまうそうです。 集めたハゼの実をバラバラにして潰し蝋分を抽出します。蝋分の抽出には、蒸気で蒸した後圧搾機で絞って抽出する方法と化学薬品(ノルマル・ヘキサン)を使って蝋分を抽出する方法があります。 抽出した蝋を容器に注ぎ分けて冷やすと、黄土色に近い色をした生蝋(しょうろう)が出来上がります。この生蝋を天日に30日〜40日晒(さら)すと白い蝋になります。これを白蝋(はくろう)といいます。 木蝋は江戸時代から農家の重要な換金作物であり、また、藩の財政を豊かにする作物でしたが、木蝋生産は明治40年代をピークに大正に入ると生産・消費が落ちてきて、価格の安い石油系のパラフィン蝋に取ってかわられました。 昭和30年代まではポマードやチックなどへの需要があり輸出量も多かったのですが、その後急速に需要が減少しました。ハゼノキを栽培して木蝋を生産していた地域は九州と四国の愛媛県でした。 愛媛県喜多郡内子町は、最盛期には全国生産量の約30パーセントを占めました。往時の繁栄ぶりを伺わせる商家群の町並みを内子町八日市護国(国選定・重要伝統的建造物保存地区)に見ることができます。九州もまたハゼの国でした。その伝統を今に伝える名物、名所を三つ紹介します。 §1 しまばら和蝋燭(わろうそく) 長崎県島原半島の中央に位置する雲仙普賢岳が起こした平成の大噴火(1990年11月〜1995年2月)はまだ記憶に残るところですが、寛政4年(1792年)には1万5千人を超える死者を出す大噴火を起こしました。 火山灰に覆われた島原一体の立て直しに一役かったのが、火山灰に強いハゼノキであり、それから取れる蝋を用いて作られる島原和蝋燭でした。その後、明治以降になると石油から採れるパラフィンを原材料とする洋ローソクが一般的となります。 それにともない島原でも徐々に和蝋燭を作る工房は減り続けていきました。今日、江 戸時代から続く伝統機械式技法で木蝋を絞る全国で一軒だけの工房として本多木蝋工業所があります。 本多木蝋工業所では、機械下部の『蝋船』(ろうぶね)と呼ばれる臼状の道具にハゼ の果皮を入れ、半円球の『玉石』を載せて圧縮し油脂を搾り出す『玉締め式圧搾機』 を使っています。 機械で絞って蝋分を抽出する方法より、化学的な方法の方がずっと取れる蝋の量が多く、経済効率では遙かに勝っていますが、本多さんは化学薬品を使わない、絶対に化学薬品の害の時ない純粋な木蝋作りこだわり、江戸時代に使われていた『玉締め式圧搾機』を再現しました。 ・本多木蝋工業所【公式】ホームページ|長崎県島原市 → http://www.honda-mokurou.net/ §2 柳坂曽根の櫨並木(やなぎさかそねのはぜなみき) 福岡県久留米市山本町には、南北 1.1キロの間に約 200本の老木の櫨(はぜ)が植わっているところがあります。柳坂曽根の櫨並木です。久留米藩が寛保2年(1742年)に灯明用の蝋の原料として植樹した櫨の木が現存しているのです。 老木は高さ5〜6メートル、幹周り1メートルほどのもので、昭和39年(1964年)に 県の天然記念物に指定、新・日本街路樹 100景にも選ばれています。櫨の紅葉の見頃を迎える11月には『柳坂ハゼ祭り』が催されます。並木道は歩行者天国になり、沿道は、野菜・果物など地元の産物を売る店で賑わうそうです。
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2019.10.30 | ||||
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