コラム  ・漁夫の辞   
− 漁夫の辞 −

その命日5月5日が端午の節句の由来になっている中国戦国時代の楚(そ)の政治家で詩人であった屈原(くつげん、紀元前340年〜紀元前278年頃)と漁夫の対話を詩として著した『漁夫の辞』という有名な散文詩がある。
 
屈原は秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする楚の王・懐王(かいおう)を必死で諫めるが受け入れらず、楚の将来に絶望して入水自殺した。『漁夫の辞』のあらすじは、以下の通りである。
           


屈原は、追放されて湘江の淵をさまよい、沢のほとりでひとり歌を口ずさんでいた。顔色はやつれ果て、その姿は痩せ衰えている。それをひとりの老漁師が見かけてたずねて言う。
 
「あなたは三閭大夫(さんりょたいふ)ではありませんか。どうしたわけで、こんな落ちぶれたお姿になってしまわれたのですか。」と。屈原は言う。「世の中がすべて濁っている中で私だけが清らかである。
 
世の中のすべての人々が酔っている中で、私だけが醒めている。だから、私は追放されたのだ。」と。そこで、老漁師は言う。「聖人は、物事にこだわらずに世間と共に移り変わるものです。
 
世の人が皆濁っているならば、なぜご自分も一緒になってその泥をかき混ぜ、波を立てようとしないのですか。人々が酔っているなら、なぜご自分もその酒かすを口にして、薄い酒を飲もうとしないのですか。
 
どうして深刻に思い悩み、お高くとまって、自分から追放されるようなことをなさるのですか。」と。すると、屈原はこう言う。「私はこう聞いたことがある。『髪を洗ったばかりの者は、必ず冠についたよごれを払ってから被る。入浴したばかりの者は、必ず衣服をふるって塵を落としてから着るものだ』と。
 
どうして潔白なこの身に、世俗の汚れたものを受入れることができるだろうか。いや受入れられない。むしろ湘江の流れに身を投げて、川魚のえさとなろうとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の塵や埃の中にまみれさせることができるだろうか。いやできないと」と。
 
老漁師はにっこりと笑い、船の縁を櫂(かい)で叩いて漕ぎ去って行った。そして、そのとき、こう歌った。
 
  滄浪の水が澄んでいるのなら、私の冠の紐を洗おう。
  滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。
 
とうとうそのまま去ってしまい、二人は二度と語り合うことがなかった。 
      


屈原と老漁師の対話は、春秋時代末期の孔子の教えである、モラルを尊び理想を求める儒家の思想と、根源的な自然の道に従う無為自然の生き方を主張する老荘思想の対比だといわれる。
 
いくら世間が汚辱にまみれていようと、それは自分とは無関係なものとしてあくまで理想的な潔白を追求して生きるのか。あるいは、仕方のないことだと割り切って、その中に身を置いて生きていくのか。どちらの生き方をとればいいのか。その答えは示されていない。
 
別れ際の老漁師の笑みは何にだったのか。そこまでいうのなら、あなたはあなたの道を行きなさい。それも人間の生き方の一つに違いないでしょう。という老漁師の予言だったのかも知れない。現に、屈原はその後、5月5日に石を抱いて、汨羅江(べきらこう)で入水自殺した。
 
【参考になるサイト】
 コラム ・5月5日(端午の節句)の由来
  → https://washimo-web.jp/Report/Mag-Tango.htm


2023.05.18
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