エッセイ  ・牝猫ピッピ 〜 猫のお話し(1)   
牝猫ピッピ 〜 猫のお話し(1) −
鹿児島市磯の仙巌園(せんがんえん)はかつての薩摩藩主島津氏の別邸跡です。その広大な敷地の奥まった閑静な一角に、日本で唯一猫を祀るという神社・『猫神神社』があります。秀吉の文禄・慶長の役の際、島津義弘公は、朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を推測したといわれます。
 
この神社には、その時生還した2匹の猫の霊が祀られており、6月10日の時の記念日には、時計業者が参集して例祭が執り行われ、愛猫家のために猫長寿祈願と供養祭が行なわれます。神社の横には猫人形などの猫グッズを売る店もあって、猫好きにとってはたまらない場所です。
 
朝鮮に出征した7匹の猫は、いずれも黄色と白の二色の、波紋のあるいわゆる茶卜ラ猫でした。義弘の次子・久保(ひさやす)はこの猫をとても可愛がり、自分の名前の一部を取って”ヤス”と名付けていたそうです。久保は21歳の若さで朝鮮において病死しましたが、以来この種の猫を、鹿児島では”ヤス”と呼ぶようになり、今でもそう呼んでいます。
 
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さて、島津義弘公の母・雪窓夫人は入来院の出でした。鹿児島県薩摩川内市のほぼ中央に位置する入来町麓の町並みは、中世の名残をよく残し、平成15年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、入来院氏が本拠とした中世の山城・清色城(きよしきじょう)跡も、翌年国の史跡に指定されています。
 
この入来麓の象徴的風景の一つである茅葺門の家にお住いの入来院重朝・貞子さんご夫妻もまた大の猫好きでいらっしゃいます。現在の愛猫は牝猫のピッピです。その名前は、世界的ロングセラー童話『長くつ下のピッピ』の主人公の名前を取って名付けられたそうですから面白です。
 
平成11年の春、入来院家の庭に四匹の子猫を連れた野良の牝猫が現れます。薄茶色の美人ならぬ美猫でしたが、子猫は何と四匹とも当時入来院家で飼っていた牡猫と同色のセピアがかった黒で、ペルシャ系統のふわふわした毛もそっくりでした。まもなく三匹の子猫は死んでしまい、やっとのことで一匹が生き残りました。
 
市内の犬猫病院まで連れて行き、ぐったりしているところを叩くようにして目を覚まさせては、子猫用のミルクを注射器で口に注ぎ込んであげました。結局三回ほど注射をしてもらって、二週間後にやっとカリカリの餌を食べるようになりました。
 
1941年、スウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレンの娘・カーリンは風邪をこじらせ寝込んだ時、『お母さん、”長くつ下のピッピ”の話を聞かせて!』とねだりました。”長くつ下のピッピ”は、カーリンがその場で思いついた名前でしたが、リンドグレンは、その名前から一つまた一つ、ピッピの物語を紡ぎだしていきます。『名前が際立っていたから、その女の子も際立ってなきゃ』とリンドグレンは思ったそうです。
 
町外れの“ゴタゴタ荘”と呼ばれるおんぼろ洋館に住むピッピは9歳の女の子。そばかすだらけの顔に赤毛のお下げ、そして左右色違いの長いくつ下をはいています。家族は猿のニルソン氏と馬のドーベルだけ。生活費は、洋館の金庫の中に金貨がいっぱい詰まっていて心配はありません。
 
天真爛漫なピッピはさっそうと泥棒退治。サーカスの力持ち自慢もピッピの力持ちにはかないません。自由奔放なピッピが巻きおこす奇想天外な大騒動に町中が大騒ぎです。『長くつ下のピッピ』シリーズは、60ヶ国以上の言語に翻訳され、世界中で映画やお芝居、ミュージカル、アニメ等になり、たくさんの人々に愛されてきています。
 
入来院家のやっとのことで一匹生き残った子猫は、元気になるとこれがまた大変なおしゃべりの牝猫ちゃんでした。貞子さんがいるとひっきりなしにニーニーと話しかけ、膝に飛び乗り、ワープロのキーの上を駆けめぐりますから、作りかけの画面が目茶滅茶になったりでした。この子猫は前足が左右色が違っていました。左は母親のような薄いきつね色で、右は父親のセピアがかった黒でした。
 
その頃、たまたま夕刻のBSテレビで『長くつ下のピッピ』のアニメを見るようになった貞子さんは、前足が左右色違いで、子猫のわりには手足がしなやかに細く長いわが家の子猫が、長くつ下のピッピにそっくりだということに気づき、名前をピッピとしました。
 
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入来院さんのお宅は、六面の襖に書が表装して貼られています。勢いよく曲がりくねった字は何が書いてあるかさっぱり読めませんが清冽な気迫が迫ってくる見事な書です。『襖はもったいないでしょう。屏風にしてはどうですか』と経師屋さんもすすめましたが、屏風は場所を必要とするし、品物となると保管も考えなければならないということで、襖にされたのだそうです。
 
この書が何と山岡鉄舟直筆の書だそうですから驚きです。鉄舟は、剣・禅・書の達人で、江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、海舟の命により官軍の駐留する駿府(今の静岡市)にたどり着き、単身で西郷と面会したことで知られ、西郷をして『金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない』(南洲翁遺訓)といわしめた人でした。
 
お宅にお伺いするたびに、お客さんが酔っ払って焼酎でもかけてしまたらどうするのだろうとか、猫のピッピちゃんが引っ掻きはしないだろうかと思ってみますが、全くその心配はなさそうです。襖の書は、いつか鉄舟ゆかりの寺・『全生庵』(東京都台東区)を訪ね旅行記をホームページにアップロードする時に、是非撮影させて頂き一緒に掲載させて頂こうと思っているところです。
 
話題が文禄・慶長の役のヤス猫から山岡鉄舟まで及んだ、牝猫ピッピちゃんに関するお話しでした。最後に、当年12歳になったピッピちゃんの写真をご覧下さい。この牝猫のピッピちゃん、ご夫妻の問いかけによく返事し、毎朝お二人が仏壇に般若心経を上げられるとき、横にちゃんと並んで座っているそうです。
 

・牝猫ピッピの写真
     → http://washimo-web.jp/Information/CatPippi.htm
 
【参考】
・長くつ下のピッピ オフィシャルサイト
       → http://www.pippilongstocking.jp/
・旅行記 ・春、入来麓の風景−鹿児島県薩摩川内市
       → http://washimo-web.jp/Trip/Iriki02/iriki02.htm
・スーパーひいオバアチャン入来院貞子の定年後の世界
       → http://www.teiko-irikiin.com/index.html

  

2011.04.27  
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