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| 横井小楠(1809年〜 1869年(明治2年)) |
その酒宴の席で、龍馬の人物論が始まったそうです。『おれはどうだ』と小楠が訪ねると、龍馬は次のように言ったそうです[1]。
先生あ、まあ二階に上がって、綺麗な女どもの酌で酒を飲みながら、西郷や大久保どもがする芝居を見物なさるがようござる、大久保どもが行き詰まったりしたら、そりゃあちよいと、指図をしてやって下さい。
また、勝海舟は、小楠を次のように評しています[2]。
おれは、今まで天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ。横井は、西洋の事も別にたくさんは知らず、おれが教えてやったぐらいだが、その思想の高調子の事は、おれなどは、とても梯子(はじご)をかけても、及ばぬと思った事がしばしばあったよ。
(写真は、2枚とも四時軒で撮影したものです。)
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| 小楠と坂本龍馬 |
横井小楠は、文久2年(1862年)12月に『士道忘却事件』(注記参照)を起こし、肥後藩庁から知行召し上げ、士席剥奪、蟄居(ちっきょ)の処分を受けています。この間に龍馬は、沼山津の『四時軒』を3回訪ねています。
元治元年(1864年)2月、勝海舟は幕府の命により長崎に出張する途中、龍馬らを沼山津へ遣わしました。海舟は、龍馬に生活に困窮していた小楠へ金品を持たせると共に、神戸海軍塾の情報を伝えさせました。それに刺激された小楠は『海軍の問答書』を執筆し、後日、長崎に居た海舟に届けさせました。海舟は長崎から故郷する4月、再び龍馬らを小楠のもとに派遣しました。この会見の後に甥の横井左平太、大平と門弟・岩男俊貞を航海修行のため神戸軍塾にいれるため龍馬に同行させました。
慶応元年(1865年)5月19日、『薩長連合』向けて奔走中の龍馬は、鹿児島の帰りに、白の琉球絣(かすり)の単衣(ひとえぎぬ)に鍔細の大小の刀を射した姿で四時軒を訪ねています。
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