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さようなら YS-11 − 鹿児島空港
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航空王国復活を期して製造された戦後唯一の国産旅客機YS-11は、座席数64のプロペラ機です。旧陸海軍戦闘機の設計者が参加したことで、頑丈な機体になったといわれます。試作機初飛行以来、改修に改修を重ね、世界標準にも勝る機体となり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時には、聖火を日本全国へ空輸し、航空王国復活をアピールしたものでした。合計 182機(国内民間機75機、官庁34機、輸出13カ国76機など)が製造されましたが、経営的には赤字が重なり、1971年(昭和46年)政府は、生産中止と販売終了を決定しました。国内のYS-11は、日本エアコミューター(JAC、本社鹿児島県霧島市)が二機を保有するのみで、福岡と鹿児島、松山、高知、徳島を結ぶ四路線で運航していましたが、2007年から空中衝突防止装置の設置が義務づけられることから、機体寿命より早く、2006年9月30日に日本の国内路線からの引退となりました。最終フライトが間近いYS-11を取材しました。『レポート ・YS-11物語』も併せてご覧下さい。                                                 (旅した日 2006年09月)


YS-11
全長26.3m/全幅32m/全高9m/標準座席数64/巡航速度444km/h/最大離陸重量25t/航続距離1,111km
JAC3648便(福岡行き)/2006.09.16.11:00/鹿児島空港
福岡空港から到着した機体は、駐機場へ向います。
JAC3643便(福岡から)/2006.09.16.10:30/鹿児島空港


ジャンボジェット機の間をぬって滑走路へ向う YS-11。今、空港の主役です。
JAC3648便(福岡行き)/2006.09.16.11:00/鹿児島空港
霧島連山の山並は初秋のなかで青くかすんでいます。見慣れたこの風景とも、もう時期お別れです。
JAC3648便(福岡行き)/2006.09.16.11:00/鹿児島空港


乗り納めに鹿児島から福岡まで往復飛行してきました。福岡へ向う駐機中のYS-11。
JAC3640便(福岡行き)/2006.09.23.07:50/鹿児島空港
シートベルト着用サインが消え、写真撮影が許されたときのYS-11の機内の様子。
JAC3640便(福岡行き)/2006.09.23.08:18/機内で
エンジンは、英ロールスロイス製のターボエンジン、プロペラはダウティ・ロート製。
JAC3653便(鹿児島行き)/2006.09.23.16:40/天草付近上空で
福岡空港に着きました。次のフライトに備えて早速給油です。
JAC3640便(福岡空港に到着)/2006.09.23.08:51/福岡空港


YS-11、旅の思い出に・・・。


福岡空港から鹿児島に帰ります。四国行きでしょうか、向こうにもう一機見えます。
JAC3653便(鹿児島行き)/2006.09.23.16:06/福岡空港


ありがとう YS-11、さようなら YS-11
JAC3648便(福岡行き離陸)/2006.09.16.11:05/鹿児島空港上空
赤字が重なっていた日本航空機製造でしたが、起死回生を図ろうとジェット機タイプのYS後継機計画を用意していたそうです。しかし、1971年(昭和46年)の政府決定による YS-11生産中止のため、その計画も放棄され、以後日本から新たな国産飛行機が生まれないまま現在に至っています。YS-11 の国内路線からの撤退とともに、このことに寂しさを覚えるのは私だけでしょうか。

ニ機のYS-11 は、空中衝突防止装置の設置が必要でないフィリッピンなどの海外の航空会社に売却され、これからも活躍を続ける予定だそうです。ありがとう YS-11、さようなら YS-11。
 レポート ・YS−11物語


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