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五家荘を訪ねて − 熊本県八代市泉町
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五木村からさらに北上すると、全国有数の秘境として知られる五家荘(ごかのしょう)があります。菅原道真の子息(嫡男)が藤原一族の追討を逃れて分住するようになった仁田尾(にたお)と樅木(もみき)という地区と、平清盛の孫の清経が壇ノ浦の合戦ののち住み着いたと言われる椎原(しいばる)、久連子(くれこ)、葉木(はぎ)という地区の5つから成るので五家荘と呼ばれますが、昭和42年(1967年)に道路が完成し、舗装もされているものの、普通車一台がやっと通れるほどの狭さで離合もままならない人跡未踏の地です。家はほとんど一軒家として散在していて、集落と呼べる形態ではありません。死ぬわけにはいかない、生き続けなければならない、その一心で逃げ延びる必要がなければ、到底誰も住むことはなかっただろうと思われる秘境の地を、心細い思いをしながら車を進めて行くと、生きることの本質とは何だろうかと考えさせられます。                          (旅した日 2006年07月)

秘境・五家荘
五家荘でもらった観光案内マップで確認してみると、五家荘には1,300〜1,700m級の山が10近く連なっています。民家はそれらの山々の人跡未踏の山腹に散在していて、現代でも落人の隠れ里そのものという実感があります。


椎原(しいばる)
緒方家の屋敷
この平家・緒方家の屋敷は、今から300年ほど前に建造されたものですが、老朽化と住居としての改造が進んだため、八代市(旧泉村)が取得し復元したものです。庭には、枯山水が造られています。

     平家・緒方家の屋敷

  文治元年(1185年)、平家一族は壇ノ浦の戦いで敗れますが、全滅したように見せかけ、平家再興のため各地に四散し、落人になったと言われます。

  平清盛の孫にあたる清経は、壇ノ浦から、四国の伊予今治に至り、さらに阿波国祖谷に行き、そこで一年過ごします。さらに、九州豊後鶴崎(現在の大分市)に上陸し湯布院に滞在中、豊後竹田領(現在の大分県竹田市)の緒方実国の招きでしばらくその館に逗留(とうりゅう)します。

  その後、実国の娘を妻に迎えて緒方姓を名乗り、緒方一郎と改名して肥後国白鳥山(泉町樅木)に住みついたとされます。その4代目の子孫である緒方紀四郎盛行がここ椎原(しいばら)に住み、代々この地を支配しました。


緒方紀四郎盛行の弟の近盛と実明がそれぞれ、久連子(くれこ)と葉木(はぎ)を支配しました。









■囲炉裏の部屋の黒光りした床や壁、
梁に300年の年期が感じられます(写真左)
     五家荘へ至る道路

  昭和42年(1967年)に、道路が完成して各地区へ車で行けるようになりましたが、道路は舗装されているものの、国道さえ普通車一台がやっと通れるほどの狭さで、離合の時は待避所のあるところまでバックしなければなりません。

各地区を結ぶ道路はさらに曲がりくねっているので、平均時速25km〜30km程度の走行になります。待避所がないので、対向車が来たら大変ですが、国道以外では一回も遭遇しませんでした。携帯電話も通じないので、エンジンストップしたら、大変なことになります。


■五木村から
五家荘へ至る国道445号線(写真右)


久連子(くれこ)
        久連子古代の里

  久連子は、緒方近盛が支配を始めた地区で、緒方家屋敷から8kmぐらいの、宮崎県椎葉村と境を接するところにあります。

  久連子古代の里は、過疎が進む同地区の活性化拠点施設として、1994年(平成6年)から整備を進めてきた施設です。敷地内には、しゃくなげの育苗や久連子鶏の飼育施設のほか、劇場や資料室などがあります。







■久連子古代の里(写真左)
      古代踊りと久連子鶏

  久連子では、平家の落人が都を偲んで踊ったと言われる『久連子古代踊り』(国無形民族文化財指定)が伝承されています。

  踊りで着用する冠笠を飾る長い尾羽を採取するために、300年以上にわたって鶏(にわとり)が飼い続けられてきました。一つの笠に約400本の尾羽が使われているそうです。

  この鶏は、久連子独自の希少鶏種であることが判明し、県天然記念物指定を受けています。




■久連子鶏(写真左)
       休校中の小学校

  旧泉村には、第一〜第九小学校までの9つの小学校がありましたが、そのうち第四小学校が閉校になり、第五小学校(久連子)と第六小学校(仁田尾)が休校になっています。

閉校でなく休校なので、一人でも児童が出てきた場合には、学校が再開されるそうですが・・・。







■久連子にある
第五小学校は現在休校中です(写真左)。


葉木(はぎ)
      梅の木轟公園吊橋

  葉木地区は、緒方家屋敷から国道445号線を北へ約10km走った、五家荘の北端部にあります。

国道沿いにある梅の木轟(とどろ)公園には、五家荘最長の吊橋(橋長さ116m、高さ55m)が架けられています。

五家荘は、峻嶮(しゅんけん)な九州山地の山ふところ深い所にあって、かつ川辺川の源流域をなしているため渓谷が多いです。したがって、滝や吊橋が多いことも五家荘の特徴になっていて、10を越える吊橋があります。



■梅の木轟公園吊橋(写真左)。
        佐倉宗吾の旧跡

  重税に耐えかねた農民を代表して、将軍に直訴して磔(はりつけ)刑に処せられた佐倉宗吾は、下総の国佐倉村に農民の神として祀られ、またその物語は義民伝と称して芝居や演劇で演じられてきたそうですが、この宗吾は、五家荘葉木の地頭緒方左衛門の二男として生まれたという伝説があって、その観光案内板が立ててあります。

  宗吾は当時、叔父に当たる光全和尚が僧となって、下総の国に移住したので、この光全和尚を頼って、下総の国で暮らすようになったそうです。
 

■道路から見下ろす葉木神社の辺り、
2〜3軒ほどの家が見えます(写真右)。
その後、下総の国印旛郡公津村36個村割元名主、木内家の養嗣となりました。五家荘葉木の緒方家では、宗吾の死後祠堂を建て、供養を続け現在に至っているそうです。











■民宿佐倉荘という看板が見えます。
この手前に『佐倉宗吾の旧跡』という観光案内板があって、石段を上がったところに祠堂があります。
道路は国道445号線で、めずらしくここには数軒の民家が集まっています。


仁田尾(にたお)
左座(ぞうざ)家の屋敷
この道真公ゆかりの左座家の屋敷は、今から200年ほど前に建造されたものですが、老朽化と住居としての改造が進んだため、八代市(旧泉村)が取得し復元したものです。右下の赤い屋根の建物は、左座家当主が経営される民宿です。左座家当主は、市の嘱託という形で、左座家屋敷の管理をされているとのことです。

     道真公ゆかりの左座家

  延喜治元年(901年)、菅原道真は、時の左大臣藤原時平の中傷により、右大臣の職より地方機関である太宰府という職務に左遷されました。

道真には二人の子供がいて、兄を菅宰相(すがさいしょう)といい、弟を菅千代丸と言いました。

藤原一族は、道真なき後、この兄弟に追い討ちをかけます。兄は五家荘仁田尾の奥に逃げ、住みつき、左座太郎と名乗り、仁田尾を支配しました。左座家は、48〜50代目に当たる方々が今も健在でおられます。



■左座家屋敷を庭園の方向から見る(写真左)
  左座家の家紋は、やはり有名な『梅鉢紋』です。左座家の屋敷は、欄間に梅鉢紋が入っていたり、3つの玄関があって訪れる客の身分によって通す玄関が違っていたりして、興味深い造りになっています。

土間や囲炉裏の部屋、客間や二階部屋などを見学できます。また、古文書も陳列されていますが、撮影禁止でした。









■玄関の欄間には、
家紋の梅鉢紋が入れられています。
(写真右)
        焼畑と杉山

  焼畑では、天然林を焼いた灰で、ヒエ、アワ、アズキ、ソバなどを4〜5年の輪作(毎年作物を変えて栽培すること)で栽培し、その後は杉を植えたそうです。だから、現在杉山になっているところが焼畑が行なわれた跡だそうです。











■左座家屋敷から見える天然林と杉山(写真左)


せんだん轟の滝
仁田尾地区にある落差70mの滝。轟音を立てながら一気に下る光景には迫力があります。

せんだん轟の滝の近くにある一軒家の民宿。

樅木(もみき)
樅木の吊橋
樅木にあるこの吊橋は、2つの吊橋が平行して架けられている親子橋になっています。上の写真は、上段に架けられている橋長さ72m、高さ35mの『あやとり橋』から見た『しゃくなげ橋』(橋長さ59m、高さ17m)です。

樅木の吊橋は、樅木川の両山腹に散在する集落の人々のため、昔は低いところに架けられた、藤のつるを使った『かずら橋』でしたが、小学生の通学や日常物資の運搬等の利便性から、昭和49年(1974年)に、地元の人たちの手によって、木材運搬用のワイヤーロープにより架け替えられました。

渓谷にユラリ、ユラリと揺れ、スリル感があり、紅葉時期には五家荘の観光名所の一つとして、毎年、大勢の観光客が訪れるそうです。






■樅木の吊橋『あやとり橋』(写真左)
■道路から眺める樅木地区の民家
(写真右)


五家荘平家の里
樅木地区は、元々は菅原家の子孫が支配していた地区ですが、平家の落人にまつわる伝説や当時の暮らしぶりを今に伝える資料館として『平家の里』が建てられています。上の写真は、『平家伝説館』です。

          能舞台

  朱色が鮮やかな能舞台は、古くから五家荘に伝わる『樅木神楽』や『葉木神楽』、『久連子古代踊り』などの披露や平家にまつわる能や平家琵琶などの鑑賞の場として使われます。

毎年5月上旬に薪能、10月中旬に平家琵琶と夜神楽が行なわれます。









■能舞台(写真右)
        鬼山御前伝説

  鬼山御前は、屋島の戦いで源氏方の那須与一が射抜いた扇の的を持っていた女官・玉虫御前であると言われます。玉虫は、鬼山と名を変えて、弟の久茂と五家荘に通じる柿迫の岩奥というところに落ち延びます。

平家の追討を命じられた那須与一の嫡男・那須小太郎宗治が五家荘に入るのを引きとめて暮らすうち、恋に落ちて結ばれます。玉虫は、多くの子供を育て、『乳の神様』として、泉町の保口若宮神社にまつられているそうです。



■鬼山御前
(写真左、平家伝説館で撮影したもの)

     五家荘の芸能イベント

 4月下旬 五家荘郷土芸能祭(久連子)
 5月上旬 薪能(平家の里)
 8月15日 久連子古代踊り
 9月1日 久連子古代踊り
 10月17日 葉木神楽
 10月25日 樅木神楽
 10月下旬 平家琵琶と夜神楽(平家の里)
 11月3日 久連子古代踊り
 11月上旬 緒方家平家琵琶
 11月中旬 左座家観月茶会

 ※詳細は、下記に問い合わせ下さい。
  八代市泉支所(TEL 0965-67-2111)
   


■茅葺の建物、松田家(左)と
和田家納屋(右)
(写真右)


 雑感 ・相対基準と絶対基準

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