♪Prologue
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上野(あがの)焼を訪ねて〜 福岡県赤池町上野
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九州の焼き物と言えば有田焼や唐津焼ですが、小倉から20数km南下した福岡県田川郡赤池町には上野(あがの)焼の窯場があります。茶道に造詣が深く、千利休から直接教えを受けた茶人大名豊前小倉藩主・細川忠興(ただおき)候が、慶長7年(1602年)に朝鮮の陶工・尊階(そんかい)を上野に招き開窯させたのが上野焼の始まりとされます。尊階は地名にちなんで上野喜蔵高国と名を改め、格調高い茶陶を30年間献上し続けました。江戸時代の茶人小堀遠州が推奨する遠州七窯の一つにも数えられ、茶陶として発展してきた上野焼は、軽くて、薄づくりであるという特徴を持っています。その後、尊楷は細川氏の国替えに従って、寛永9年(1632年)に肥後熊本へ移り、八代(やつしろ)で高田(こうだ)焼を興します。二男の十時孫左衛門と四男の渡久左衛門が上野に残り、新藩主となった小笠原家のもとで上野焼を焼き続けました。現在、十時窯と渡窯のほかに、27の窯元が窯を開いています。田川市に住む旧友にわざわざ案内してもらって早春の3月下旬に渡窯を訪ねました。しぶさのなかに、モダンさと上品さが漂っている上野焼の写真をアップロードしました。雑感 ・上野(あがの)焼と併せてご覧下さい。
                                                     (旅した日 2004年3月)

上野(あがの)
筑豊の野に屹立(きつりつ)する標高900mの福智山の麓の自然豊かな地に29の窯元が窯を開いています(写真左)。渡窯に掛けてあった詩文(写真右)。
渡窯










































渡窯の伊羅保(但し、上から三番目の写真を除く)。伊羅保(イラボ)は16世紀ごろ朝鮮半島の慶尚南道付近で生産されていたといわれ焼き物です。一般に、木灰と黄土もしくは木灰と来待石(きまちいし)で調合される釉薬(ゆうやく)で、焼成すると黄色や褐色に焼き上がり、表面がざらざらしていて、手で触ったときいらつくから、「イラボ」という名前が付けられたそうです。何十年も使い古したようなしぶさのなかに、モダンさと上品さが漂っています。とても良いです。



左の写真は、渡窯の屋敷内の佇(たたず)まい。
上の写真の湯呑は、旧友にプレゼントしてもらった
十一代渡久兵衛さんの作品で、明るい温かみのある湯呑です。

小堀宗実・著『茶の湯の不思議』(NHK出版)は、渡窯の展示室で販売されていたもので、やはり旧友にプレゼントしてもらいました。茶の湯を取り巻く数々のなぞを解き明かしてその本質に迫り、現代を心豊かに生きるヒントを与えてくれる本です。
【備考】
・このページは渡窯さんのご承諾を得て公開しています。
・上野焼協同組合(陶芸館)の公式ホームページは、→ http://www.earthland.jp/agano/
・赤池町の上野焼紹介ページ(国焼茶陶上野焼)
  → http://www.akaiketown.jp/html_open.php?filename=top.waku&waku=aganoyaki/siru.html
・赤池町の公式ホームページ → http:/
/akaiketown.jp/multi_standerd.php?waku=top.waku&db_file=main2.db
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