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瑞龍寺と伝統的町並み − 富山県高岡市
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富山県高岡市は、加賀二代藩主前田利長公の城下町でした。JR高岡駅南口より徒歩約10分の住宅地のはずれに突如として現れる利長公の菩提寺・国宝瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、3万6千坪といいますから430m四方の広さの境内を誇り、その壮大さに驚かされます。20年の歳月を要したため、完成の姿を見ないまま亡くなった棟梁や大工も少なくなかったそうです。9月初めの越中おわら風の盆からの帰りに高岡に寄り、瑞龍寺と重要伝統的建造物群保存地区に選定されている山町筋、そして高岡銅器の始まりの地で今でも美術銅器の全国シェア9割を占める金屋町の町並みを訪ねました。  (旅した日 2005年09月)


瑞龍寺・総門
賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺
加賀百二十万石の財力を如実に示す江戸初期・禅宗の典型的な建造物群で、
30年振りの国宝指定のものです。



国宝・山門


国宝・仏殿
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うために三代藩主利常公によって建立された寺です。
利長公は高岡に築城し、この地で亡くなりました。加賀百二十万石を譲られた異母兄弟である利常公は、深くその恩を感じ、時の名匠・山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽(こうざんじょよう)禅師をもって開山させました。


国宝・山門
造営は正保年間から、利長公の50年忌の寛文3年(1663年)までの約20年の歳月が費やされました。当時、寺域は3万6千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭を思わせます。


禅堂と大庫裏(重要文化財)
国宝として指定されている建物は山門、仏殿、法堂で、総門、禅堂(写真上)、大庫裏(写真下)、大茶堂、回廊三棟が重要文化財としてされており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価させています。


土蔵造りの町並み
御馬出町から小馬出町へ続く山町筋は、明治・大正に建てられた土蔵造りの家が立ち並ぶエリアで、平成12年に『重要伝統的建造物群保存地区』に選定されま した。


赤レンガの銀行
大正3年(1914年)に高岡共立銀行本店として建てられたもので、本格的な西洋建築としては県内唯一とされています。現在は、富山銀行本店として利用されています。


菅野家住宅(国指定重要文化財)
建築当時の姿をそのまま残し、この地域でも有数の規模を誇る土蔵造りの家です。黒漆喰塗りの壁や二階に設けられた観音扉の土扉、建物両袖の防火壁など重厚さが漂い、内部は贅を凝らした数奇屋風の造りになっています。

鳳鳴橋(ほうめいばし)
高岡中心部から金屋町に行く途中の千保川にかかる橋。橋の名は、高岡の地名の由来と伝えられる詩経の一説『鳳凰鳴けり彼の高き岡に』から名付けられています。橋の両側には、ブロンズ製の鳳凰が立ち、行き交う車や人を見守っています。


高岡鋳物発祥の地
加賀二代藩主前田利長は、城下町の産業振興策として7人の鋳物師を招いてこの地に住まわせました。これが、高岡銅器の始まりでした。高岡鋳物資料館の前には、銅製鋳物の鐘や溶解炉などが置かれていました。


金屋町(格子造りの町並み)
美術銅器の全国シェアの9割を占める高岡銅器。金屋町は高岡銅器が生まれた地と知られ、今も多くの銅器職人が住んでいます。昔ながらの格子造りの家々が静かに軒を連ね、銅片が敷き込まれた石畳が美しい町並みが続いています。


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