レポート  ・ソウル光化門広場について   
− ソウル光化門広場について −
鹿児島空港から週3往復直行便が運航されていて約90分でいけるということもあって弟夫妻と4名でソウルを訪ねたのは、今年(2009年)9月上旬のことでした。それから1ヶ月以上経って、ソウル市街の風景をホームページにアップロードしようと、光化門(クァンファムン)広場についてネット検索してみて、なんて無知であったことかと愕然(がくぜん)としたのでした。
 
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鹿児島空港12時10分発のKE(大韓航空)便は、ソウル仁川(インチョン)空港に14時前に着きました。現地のツアーコンダクターが先ず案内してくれたのが、ソウル市内光化門の世宗路に高くそびえ立つビルにある『東和免税店』でした。韓国で最初にできた市内免税店という老舗です。
 
早速免税店かと思いましたが、世界遺産・昌徳宮(チャンドックン)の入場が16時に予約してあって、どうもそのための時間調整として約1時間の免税店案内だったようです。女性軍が免税店で過ごす間に、カメラを持って付近の撮影にでかけました。
 
その麓に青い青瓦台の屋根が見える北岳山(ブッガクサン)を背景に、外壁がレンガ色のモザイク模様をした建物のようなものが見えます。これが、李氏朝鮮の王宮だった景福宮(キョンボックン)の正門・光化門で、現在復元工事中のためパネルで覆われていたのです。
 
その前方には、高い台座の上に将軍銅像が威厳を持ってソウル市内を見守るようにそびえて立っていました。そして、銅像の周囲には見事な噴水の列がつくられていて、天に高く水を噴き上げていました。光化門から市庁前広場方面へと続くこの辺りが、今年8月1日に1年3ヶ月間の工事を終えて誕生したばかりの『光化門広場』だと知ったのは、1ヶ月以上を経てネットで調べてからのことでした。
 
朝鮮時代、六曹通りと呼ばれ、王や商人、庶民たちが行き交う首都・漢陽の中心道路だったこの辺りは、これまで16車線の道路が走っていましたが、中央6車線を廃止し、その空間に幅34m、長さ 557mの広大な広場が造成されました。そして、広場に建つ銅像は、李舜臣(イ・スンシン)という将軍の銅像でした。
 
李舜臣は、李氏朝鮮時代の将軍で、1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵、いわゆる文禄の役(韓国では壬辰倭乱と呼ばれる)の際、卓越したリーダーシップで朝鮮水軍を率いて日本軍に勝利した将軍で、国民的英雄とされているそうです。
 
さらに、銅像の周囲に設置された噴水は、『噴水12・23』と呼ばれ、日本水軍を撃破した朝鮮水軍船舶12隻と、23戦23勝の不敗神話を成し遂げた李舜臣将軍の功績に由来していて、最高18mの高さまで吹き上げる約 200個の噴水と、 100余個の床噴水は、水しぶきを上げて激しく戦う将軍の海戦の様子と一代記を表現しているというのです。
 
現在復元工事中の光化門もまた日本との戦争と深い関わり合いがありました。1592年の文禄の役で景福宮とともに焼失。約 270年後に景福宮再建に伴ってその姿を取り戻したましたが、今度は日本植民地時代の1927年に朝鮮総督府が景福宮東側に光化門を強制移転。1950年の朝鮮戦争で再び焼失し、1968年に鉄筋コンクリートで復元されるという波乱の歴史を経てきたそうです。2006年より当時の場所に戻すための復元工事が行われており、2010年の完工の予定だそうです。
 
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ショッピング、グルメ、世界遺産観光など、ソウルの旅を楽しむのはそれはそれで結構なのですが、上述のことなどほとんど知らずに、何一つ屈託なく旅を過ごしてきたということ、そしてほとんどの日本人観光客がそうであろうということに、今どこかに情けない思いを抱いているところです。
 
下記の旅行記があります。
◆旅行記 ・ソウル市街の風景 − 韓国ソウルの旅(1)
  → http://washimo-web.jp/Trip/Seoul02/seoul02.htm
 
【参考にしたサイト】
光化門広場|韓国ソウル|観光スポット|「コネスト」
  

2009.10.14  
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