レポート  ・鮑の片思いと熨斗   
− 鮑の片思いと熨斗 −
先ずレポートのタイトル、読めましたでしょうか? すでにレポートしました『与論小唄(十九の春)』つながりで、鮑(あわび)の片思いと熨斗(のし)についての話しです。与論小唄の二番の歌詞につぎのようにありました。
 
 ♪ 貴方(あなた)貴方と焦がれても 貴方にゃ立派な方がある
   いくら貴方とよんだとて 磯の鮑(アワビ)の片思い 〜
 
なぜ、”鮑の片思い”なんだろうと疑問に思って(恥ずかしながら今まで知らなかったのです)、鮑のことを調べてみると、鮑にまつわる話しにはいろいろがあって面白いです。まず、『鮑の片思い』は、性風俗的な洒落から来ているのかなと思ってみましたが、なんと万葉集の歌に由来する故事成語だったのです。
 
   伊勢の海人(あま)の 朝な夕なに 潜(かづ)くといふ 
        鮑(あはび)の貝の 片思(かたもひ)にして
 
        (作者不明 万葉集 巻十一 ニ七九八)
 
『伊勢の海人が朝夕潜って捕るという鮑の貝のように、私の恋もずっと片思いのままだことよ』という意味です。ご承知の通り、鮑は平べったく、殻(から)の方からみると、いかにも二枚の殻を持つ二枚貝のように見えますが、ひっくりかえすと見えるのは殻ではなくて肉の部分です。
 
鮑は、れっきとした巻き貝のため片方しか貝殻がありません。従って、万葉の人々は、ぴったり合わさる相手の貝殻がないので、いつまでたっても片思いだと洒落たのです。
 
奈良時代の頃より鮑は、宮中人や高貴な人たちのグルメな、そして長寿料理の食材として使われ、たいへん貴重な物として取り扱われたようです。鮑の貝殻は肉部分を取り去ると裏側に、とても美しい真珠光沢があり、螺鈿(らでん)細工の工芸材料に用いられいています。また、真珠は現在、アコヤガイを使ってつくられますが、本来は鮑玉(あわびだま)といって、鮑の内部に形成される天然真珠が本真珠と呼ばれていました。
 
このように、鮑は、食材として、また貝殻は装飾用として、奈良時代より宮中の人々の人気を得ていました。宮中の婦人方は、鮑を『恋忘貝』と呼び、恋の苦しさを忘れさせてくれる貝だと信じていたそうです。万葉集につぎの歌があります。
 
   手に取るがからに忘ると 
        海人(あま)の言ひし恋忘れ貝
                言(こと)にしありけり
 
        (作者不明 万葉集 巻七 一一九七)
 
手にとるだけで恋の苦しみをすぐに忘れられると海人がいうので、鮑の貝殻を手にとって身につけてみるのだが、一向に効き目がない。海人がいった恋忘れ貝の効能は、言葉だけのことであることよ。
 
四方を海に囲まれたわが国は古来より海の幸に恵まれ、海産物は神事のお供え物として用いられてきました。特に、美味で貴重な食材だった鮑は重要なお供え物として、伊勢神宮などに献上されました。
 
鮑の肉を薄く削ぎ、干して琥珀色の生乾きになったところで、竹筒で押して伸ばし、更に水洗いと乾燥、押し伸ばしを交互に何度も繰り返すことによって調製したものを『熨斗鮑(のしあわび)』といいます。熨斗(のし)は、『伸し』と同源で、鮑の肉を薄く削ぎ、引き伸すことを意味します。
 
熨斗(のし)は延寿に通じ、鮑は長寿をもたらす食べ物とされたため、古来より縁起物とされ、神饌(神祇に供える飲食物)として用いられてきました。三重県鳥羽市国崎町では、地元で捕れる鮑を使った熨斗鮑の伊勢神宮献上が二千年前から続けられているそうです。
 
また、熨斗鮑は、中世の武家社会においても武運長久に通じるとされ、陣中見舞などに用いられ、建久3年(1191年)に源頼朝のもとに年貢として長い熨斗鮑が届けられたという記録があるそうです。
 
慶事における進物や贈答品に添える飾りである『熨斗』は、本来は、熨斗鮑を長六角形の色紙で包んだものでしたが、現在は、熨斗鮑の変わりに黄色い紙を包んだものに簡略化され、あるいは祝儀袋などのおもて面に印刷され、しばしば水引と併用されたものへと簡略化されています。
 
・鮑と熨斗
 → http://washimo-web.jp/Information/Awabi&Noshi.htm
 
【参考サイト】
 ・鮑(あわび) - 万葉の生きものたち
 ・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ・伊勢神宮献上「のしあわび」の里
       

2009.09.02  
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−