コラム | ・猫とことわざ |
− 猫とことわざ −
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猫の額、猫舌、猫なで声、猫に小判、猫に鰹節など、猫にまつわる慣用句やことわざが、とてもたくさんあります。それだけ、猫は昔から人間の日常生活のまわりにいて、その身体的特徴や性質、癖や挙動、そしてその時々の感情まで、すっかり人間さまに見抜かれ、かつなじまれてきたということでしょう。 たくさんある猫にまつわる慣用句やことわざのほとんどが、猫にとってはありがたくない、迷惑千万な言い回しが多いのはなぜでしょうか。つぎの慣用句などもなんとも皮肉たっぷりの言い回しです。 ・猫かぶり 本性を隠して、おとなしそうな振りをしていること。また、その人。 ・泥棒猫 隠れて悪事をする人のたとえ。 ・猫可愛がり 盲目的にかわいがること。ひたすらかわいがること。 ・猫下ろし 猫が物を食い残すこと。また、その残したもの。 ・猫の魚辞退 本当は欲しいのに、口先だけで断ること。一時的で長続きしないこと。 きっと、猫を可愛がりながらも人間の気持のどこまに、その屈託のない、勝手気ままな性格や暮らし振りに対する羨望ややっかみがあるのかも知れません。 ひとつだけ、なぜそういう意味なのかわからないのが『猫も杓子も』。調べてみると、とんち話しでおなじみの一休さんの『一休咄(ばなし)』(江戸時代初期)に、『生まれて死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も』とあって、もともとは、猫は、禰子(ねこ)で、杓子は、釈子(しゃくし)だったという説が有力なようです。 禰子は、神官に携る人々の子孫のことで、神道に仕える人たちの意。釈子は、仏弟子のこと。すなわち、お釈迦(しゃか)さまも、達磨(だるま)さまも、神道や仏道に仕える人もということから、『どんな人も、どんなものも、みなすべて』という意味。 もう以前のことになりますが、ちょっぴり恥ずかしい思いをしたのが、『ネコババ』という漢字。皆さん、ネコババは漢字でどう書くと思いますか? ずっと『猫婆』と書くのだと思っていたのです。ところが、何度漢字変換してもそうはなりません。 『猫糞』と書くのでした。辞書に、猫糞=〔猫が糞に泥をかけて隠すことからいう〕悪事をごまかして知らない顔をすること。特に、拾った物をひそかに自分の物にしてしまうこと。とあります。なるほど、言われてみればその通り。正直な話し、今まで知らなかったのです。小説にも出てこなかったし。でもなぜ、『ネコフン』と読まないのでしょうか? 慣用句やことわざはそれはそれとして、相変わらず人間さま(特に猫派の人々)に可愛がられ続けている猫さまであります。 【備考】 下記に『猫神社』の旅行記があります。 ■旅行記 ・猫神神社 (仙巌園)− 鹿児島市 |
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2008.07.23 | ||||
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