♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
猫神神社仙巌園− 鹿児島市
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鹿児島市磯の仙巌園(せんがんえん)は、かつての薩摩藩主島津氏の別邸跡。その広大な敷地の奥まった閑静な一角に、猫好きにとってはたまらない場所があります。日本で唯一猫を祀(まつ)るという『猫神神社』です。豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592〜1598年)の際、第17代島津義弘公は、朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を推測したといわれます。この神社には、生還した2匹の猫の霊が祀られており、6月10日の時の記念日には、時計業者の人々がここに参集して例祭が執り行われ、また愛猫家のために猫長寿祈願と供養祭が行なわれます。猫人形などの猫グッズを売っている『猫屋』という店もあります。                   (旅した日 2008年07月)


猫神神社
      猫神神社

仙巌園の最も主だった見所である『御殿』の裏の奥まった小高い場所に猫神神社はあります。丸木の小さな鳥居をくぐると、両側に石灯籠があり、正面に小さな石碑が鎮座している、とてもこじんまりした神社です。

文禄・慶長の役(1592〜1598年)で、島津義弘公に従って朝鮮へ出征した7匹の猫のうち、日本に生還した2匹の猫の霊が祀ってあります。
        猫の絵馬

鳥居の近くには、たくさんの猫の絵馬が奉納されていました。いずれも猫の長寿を祈ったり、亡くなった猫の冥福を祈るものです。例えば、次のようにあります。

・天国でみんなと仲良くして下さい。
・トラとハナがいつまでも元気にいられますように。
・みーちゃんが元気になって皆が仲良く暮らせますように。
・ぼくたちも外でくらしている仲間たちもけんこーでしあわせにすごせるようにまもってください。



猫屋
         猫屋

木彫りの緑色の猫人形が出迎えてくれる『猫屋』。猫神神社の隣りにあるこじんまりしたお店です。

守護御札や猫のお守り、猫のお札、招き猫や創作猫人形、その他にも携帯ストラップ、耳かきなど、たくさんの猫グッズが売られています。創作猫人形には、タクトを振る猫、それに合わせて合唱する猫、焼酎瓶を抱いた酔っ払い猫、ダイエット猫など、可愛くって面白い作品がありました。奉納する猫絵馬もここで購入します。
    明るさと猫の瞳孔

『猫の目のように』といったり、『猫の目玉と秋の空』『女の心は猫の目』ということわざがあるように、移り変わりが激しい、変化しやすいことの例えに、“猫の目”が使われます。

眼の内側に入る光の量を調節する黒色の開口部を瞳孔(どうこう)あるいは瞳といいますが、猫の瞳孔は人間と違って縦に細長くなっています。これは、瞬時に瞳孔の大きさを変えるのに有利で、また草むらのような縦長の視界で視覚を働かせるのに有利なためと考えられています。

        猫時計

また、猫の瞳孔は調整範囲が広く、明るいところでは細長く、暗いところでは出来るだけたくさんの光を取り込むために目一杯広げて真ん丸にします。つまり、猫の目は明るさによって瞳孔の形が変わるわけです。

真昼に近い時刻には瞳孔の広さは狭くなり、逆に真夜中に近づくほど広くなるので、時計というものがなかった時代、時間帯によって猫の目の瞳孔の形が変わると考え、忍者などが概略の現在時刻を知るのに活用したといわれています。

『六つ丸く五七卵に四つ八つは柿の核なり九つは針』という日本の古歌があって、意味は、猫の瞳孔は

 ・六つ(午前六時頃)は、丸く
 ・五(午前八時頃)と
 ・七(午後四時頃)は、卵形
 ・四つ(午前十時頃)と
 ・八つ(午後二時頃)は、柿の種
 ・九つ(正午頃)は針のように細い

ということだそうです。

猫人形たち
     従軍した7匹の猫

さて、島津義弘公に従って朝鮮へ出征した7匹の猫は、時刻を知らせる役目を担っていましたが、まさか戦場で食事時を知るのが目的で使用されたのではなかったでしょう。7匹の猫がそれぞれの部隊に配られ、作戦開始のタイミングを示し合わせるための『陣中時計』として使われたのでしょうか。

文禄の役では国元の体制不備により軍役動員がはかどらず『日本一の遅陣』といわれ面目を失った島津軍でしたが、慶長の役ではその武勇を遺憾なく発揮したそうです。
慶長3年(1598年)の泗川の戦いでは、明軍・朝鮮の大軍を、それよりはるかに少ない寡兵で打ち破り、島津軍は『鬼石曼子(グイシーマンズ・おにしまづ)』と呼ばれて恐れられたそうです。

そうした島津軍の朝鮮での活躍の7匹の猫たちも貢献したのでしょうか。5匹の猫が戦死、2匹の猫が生還しました。




※ 写真は、猫屋で売られている可愛くって面白い創作猫人形たち。


ヤス猫
ヤスの由来 朝鮮に出征した7匹の猫は、黄色と白の二色の波紋のある猫で、義弘の次子、久保(ひさやす)に愛せられ、”ヤス”と命名されていました。久保は21歳の若さで朝鮮において病死しましたが、以来この種の猫を、鹿児島では”ヤス”と呼ぶようになったといわれ、現在もそう呼ばれています。『猫屋』には、上の写真のような”ヤス”猫の置物(年期が経って多少汚れています)が7体置いてあります。


【参考にしたサイト】
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・猫とネコとふたつの本棚>猫の古歌 → http://www.nekohon.jp/zx-poem-hanare-waka.html
・猫長寿祈願と供養際 → http://www.senganen.jp/event/nekokigan/



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