レポート  ・『奇跡のリンゴ』を読む   
− 『奇跡のリンゴ』を読む −
外見はごく普通。それほど大きいわけではない。形は少しばかり歪んでいるし、小さな傷もある。少なくとも外見は、デパートの地下食料品売り場に並ぶような一級品ではない。しかし、とにかく手に入れるのが難しい。
 
そのリンゴから作ったジュースの三分の一は、ある政治家に買い占められているという。そのリンゴで作ったスープを出す東京白金台のフレンチレストランは1年先まで予約がいっぱいだという(下記の本より)。そんなリンゴがあるのをご存知でしょうか。
 
『奇跡のリンゴ−「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』(幻冬舎、2008年7月第一刷発行)を読みました。ノンフィクション・ライターの石川拓治さんが、世界で初めて無農薬無肥料のリンゴ栽培に成功した木村秋則(あきのり)さんの人生を取材して、一冊の本にまとめた単行本です。エピローグに次のようにあります。
 
    すごい人がいたものだ、心の底からそう思う。
    リンゴの葉が風に揺れて、ざわざわと鳴った。
 
1949年に、青森県岩木町(現弘前市)の三上家の次男として生まれた木村さんは、地元の高校を卒業後、首都圏の会社に勤めますが、1971年に帰郷。22歳でリンゴ農家の木村家の養子になって美千子さんと結婚。美千子さんが農薬に過剰反応するのをきっかけに、無農薬のリンゴ栽培を思い立ちます。
 
1978年に、4ヶ所あるリンゴ畑のすべてを使って無農薬栽培に挑戦し始めます。家族をも巻き込んだ9年にも及ぶ苦闘の始まりでした。木村さんは、農薬のかわりに、毎日自分たちが食べている食品で病気を防げるものはないだろうかと考え、砂糖、こしょう、ニンニク、トウガラシ、醤油、味噌、塩、牛乳、日本酒、焼酎、米のでんぷん、小麦粉、酢など、ありとあらゆるものを散布して試します。
 
そして、木村さんと美千子さん、義父と義母の4人で、明け方から夕方日が沈むまで来る日も来る日も虫取りに明け暮れる毎日でした。それでも、無農薬でリンゴを育てることは困難を極め、 800本あったリンゴの木は毎年、夏に入る前にほとんどの葉が落ちてしまい、やがて半分近くのリンゴの木を枯らしてしまう羽目になります。
 
周りのリンゴ農家との間には軋轢(あつれき)が生じ、収入のなくなった一家七人は貧乏のどん底に落とされます。どうしても必要な電気代や水道代を払うために金策に走り回り、健康保険料が払えず、健康保険証も取り上げられ、PTA会費も払えません。
 
娘たちの服も、学用品すらまともに買ってやれませんでした。穴のあいた靴下にツギハギをあて、一つの消しゴムを娘たち三人で切って分けて使うほどでした。
 
1980年代の初め、日本経済が世界の模範とされていた時代のことでしたから、リンゴの価格も高値で安定していて、岩木町のリンゴ農家の暮しは豊かでした。農薬を使いさえすれば、木村さん一家も豊かな暮らしをおくれたのです。
 
そんななかで、木村さんは農作業の出来ない冬場は、東京に出稼ぎに出ます。半ば浮浪者同然の生活をしながら、港の荷揚げ日雇いや段ボール集めに従事して仕送りをしました。また、地元では三年間、繁華街のキャバレーで黒服を着てボーイ兼客引きのアルバイトをしました。
 
リンゴの無農薬栽培に挑戦し始めてから7年目の1985年の夏、万策尽きた木村さんはとうとう追い詰められ、死ぬことを決めます。首を吊るロープを持って岩木山に入った木村さんは、山奥で美しい実を実らせたリンゴの木の幻影を見ます。
 
山の中では誰も農薬の散布などしないのに、葉は青々と繁っています。木村さんが見たのは実際はドングリの木だったのですが、その木の下の地面は、足が沈むくらいふかふかしていて、土を口に含んでみると、何とも言えないいい匂いがしました。
 
    リンゴの木は、リンゴの木だけで
    生きているわけではない。
    周りの自然の中で、
    生かされている生き物のわけだ。
 
この山の土を畑に再現すれば、リンゴの木は必ず根を伸ばす。そして、ドングリの木と同じように元気になるだろう。自分のなすべきことは、畑の土にその自然を取り戻してやることだ。木村さんの再挑戦が始まりました。
 
木村さんは、根に根粒菌が共生する大豆をリンゴ畑に播きました。大豆が腰の高さに育つ頃になるとリンゴ畑はジャングルみたいになりました。
 
草は一切刈らずにいたので、大豆の下にはいろんな種類の雑草が生え、その草陰で虫が鳴き、虫を蛙が追い、蛙を狙う蛇が姿を見せ、野ネズミや野ウサギまで走り回りまわるようになりました。そんななかで、リンゴの木が少しずつ元気を取り戻してきました。やがて9年ぶりにリンゴ畑が一斉に花を咲かせたのでした。
 
木村さんのリンゴはとても美味しいそうです。ワインは、肥えた畑よりむしろ痩せた土地に育ったブドウの方が極上のものとなることが少なくないそうです。
 
乏しい養分を求めるためブドウは地中深くまで根を巡らせ、土壌中の様々な元素を取り込み、香りや味がより複雑で奥行きのあるものになる。木村さんのリンゴにも、同じことが起きているのではないかと、石川拓治さんは書いています。
 
現在、国内だけでなく、外国からも招かれて講演をしたり、農業指導をするようになった木村さんは、米にしても野菜にしても、無農薬無肥料の栽培で収穫が安定してきたら、次はできるだけ価格を下げるようにとアドバイスしているそうです。無農薬無肥料の作物がいつまで経っても、ある種の贅沢品のままだと、無農薬無肥料の栽培は特殊な栽培という段階を超えられないと考えるからです。
 
是非、木村さんのリンゴを食べてみたいと思いますが、公式ホームページに、『現在のところ、木村農園で採れたリンゴの注文にお応えすることが非常に難しい状況でございます。木村個人が困難を極めていた時代から支えて頂いた方々を含めますと、現在、数千名のお客様がいらっしゃいますが、こうした既存のお客様達にも満足に行き渡っていないのが現状です。』とあります。
 
【書籍紹介】
・『奇跡のリンゴ−「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』
   → http://washimo-web.jp/BookGuide/BookGuide6.htm
 
【備考】
・木村興農社【木村秋則オフィシャルホームページ
  → http://www.akinorikimura.net/
・自然栽培野菜生産者を支援 白金台「シェ・イグチ」
  → http://www.cheziguchi.com/
  

2011.02.22  
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