レポート | ・グスクと沖縄の歴史 |
− グスクと沖縄の歴史 −
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沖縄旅行で誰もが一度は訪れたい観光スポットといえば先ず首里城でしょう。琉球王国(1429〜1879年)国王の居城で、2000年に世界遺産に登録されました。中国大陸や日本文化の影響のみならず、交易で流入する南方文化の影響をも受けて花開いた琉球王国独自の歴史・文化の面影を首里城およびその周辺に見ることができます。 一方、沖縄には琉球王国時代前に建てられた城(グスク)跡がたくさん存在し、いくつかは2000年に首里城などとともに世界遺産に登録されています。石灰岩で築かれた城壁の織りなす曲線幾何学などがとても美しく、グスクめぐりは沖縄観光の楽しみの一つでもあります。グスクと沖縄の歴史について調べてみました。 グスク時代 グスク(御城)もしくはスク(城)とは、南西諸島の内、旧琉球王国領域である奄美群島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)にかけて多数存在する遺跡です。グスクは、日本本土でいうところの『城』ですが、本土のように単に軍事拠点として作られたものだとは考えられていないそうです。 琉球の信仰の聖地として、御嶽(うたき)がありますが、グスクはもともと御嶽であったと考える説(聖域説)、もともと集落として発生し、周辺を石垣で囲ったものとする説(集落説)、そして地域の有力者の居城として構築されたとする説(城館説)など、グスクの起源には様々な説があるそうです(参考:Wikipedia)。 12世紀ごろから琉球諸島各地でも稲作・畑作を中心とした農耕社会への移行が始まり、集落は貝塚時代の海岸部から農耕に適した台地に移っていきました。農耕を基盤とした社会が成立すると、有力者が現われ、地元の農民を束ねて豪族となりました。 地方豪族の首長やその家族などは按司(あじ)と呼ばれました。元来、琉球には、王号や王子号がなく、その代わりに按司の称号が用いられました。按司は石垣で囲んだ城(グスク)を築き、周辺の集落を傘下に入れ小国家へと発展しました。この時代をグスク時代と呼びます。 三山時代 14世紀に入ると各地の按司を束ねて三つの国にまとまりました。察度(さっと)が治める中部の中山(ちゅうざん)、承察度(しょうさっと)が治める南部の南山(なんざん)(山南)、怕尼芝(はにじ)が治める北部の北山(ほくざん)(山北)です。この時代を三山時代と呼び、約 100年続きました。 3王国それぞれの領地は、1896年の郡制施行により国頭郡・中頭郡・島尻郡の3郡となりました。郡の範囲は現在ではかなり変りましたが、国頭郡・中頭郡・島尻郡という地域区分名は今も残っています。 北山王国は、今帰仁(なきじん)村を中心に主に沖縄県国頭郡(くにがみぐん)に存在していた王国で鹿児島県の与論島と沖永良部島も含んでいました。中山王国は、現在の那覇市、浦添市を中心に主に沖縄県中頭郡(なかがみぐん)に存在していた王国で、南山王国は、現在の糸満市を中心に沖縄県島尻郡南部に存在した王国でした。 琉球統一へ 三王国はいずれも中国の明帝国に朝貢し交流を深めましたが、その中から南山の佐敷按司であった尚巴志(しょうはし)が急速に勢力を伸ばして行きます。まず1406年に中山王を滅ぼして、尚巴志の父である尚思紹(しょうししょう)を中山王につかせて基盤を固め、その後、1416年に山北(北山)王を滅ぼしました。 その領土であった奄美群島南部(沖永良部島以南)を侵略して領土に組入れ、1429年頃には山南(南山)王を滅ぼして三山時代に終止符を打ち琉球を統一し、琉球国王が成立しました。以後、琉球王国は、明治政府のもとで琉球が近代日本国家に組み込まれていった1879年(明治12年)のいわゆる琉球処分まで続きます。 下記の旅行記があります。 ◆旅行記 ・座喜味城跡 − 沖縄県読谷村 ◆旅行記 ・今帰仁城跡 − 沖縄県今帰仁村 ◆旅行記 ・沖縄の風景 − 沖縄県 |
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