志慶真乙樽(しけまおとたる) 今から700年ほど前、乙樽という絶世の美女がいて今帰仁城主に見初められ側室になります。王妃との間に子がなかった城主は老齢になってやっと子を授かりますが、その子を見ることもなく死んで行きました。王子は千代松と名づけられましたが、臣下が反乱を起こし、乙樽も王妃も必死の思いで城から逃げ出しますが、産後間もない王妃は逃げ切れず、王妃は乙樽に子をたくし、志慶真川に身を投じて命を絶ちました。乙樽は残された千代松をわが子のようにかわいがり、立派に育てあげます。やがて千代松は丘春(おかはる)と名を改め、かつての臣下とともに敵をうちます。乙樽は忠誠と慈愛の証として神人(かみんちゅ)という職を与えられたと伝えられているそうです。『志慶真乙樽の歌碑』が大庭の一角に建てられています。 |