レポート  ・五箇山の民謡   
− 五箇山の民謡 −

五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺(なんと)市の旧平村、上平村、利賀(とが)村を合わせた地域の総称で、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷の5つの谷からなるので五箇谷間、これが転じて五箇山の地名となったと言われます。


秘境の地であると共に有数の豪雪地帯のため、急傾斜の大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれました。今も平村の相倉(あいのくら)地区に20戸余り、上平村の菅沼地区に9戸の合掌造りの家が残っていて、隣接する岐阜県白川村の白川郷と共に世界遺産に登録されています。


また、五箇山は『民謡の宝庫』と言われ、こきりこ節、麦や節、五箇山追分節、といちんさ、お小夜節など、歴史のロマンに満ち溢(あふ)れた民謡が残されています。


                 『麦や節』


700年の栄華をきわめた平家一門が、倶利迦羅(くりから)が谷の合戦を始め、打ち続く合戦に敗れ、隠れ場を探してたどり着いた地が五箇山でした。平村、上平村の地名は、平家の"平"に由来すると言われます。


山仕事や農耕の合間に、往時を偲んで唄い踊ったのが『麦や節』でした。歌詞には、「浪の屋島を遠く逃れ来て、烏帽子狩衣を脱ぎ捨て、今は・・・」とあり、素朴な農作業の情景と共に、落武者たちの思いがつづられています。


               麦や節・歌詞


             麦や菜種は二年で刈るが
             麻が刈らりょか半土用に


             浪の屋島を遠くのがれて来て
             薪こるてふ深山辺に


             烏帽子狩衣脱ぎうちすてて
             今は越路の杣刀


             心淋しや落ち行くみちは
             川の鳴瀬と鹿の声


             川の鳴瀬に布機たてて
             波に織らせて岩に着しょう


             鮎は瀬につく鳥は木に止まる
             人は情の下に住む


元々は、輪島で唄われていた素麺作りの『粉ひき唄』が、五箇山に移入されたもので、当初は『輪島』と呼ばれていましたが、その後、歌詞の冒頭から取って『麦や節』と言われるようになったそうです。早いテンポの中に哀調あるリズムで、踊りは、黒紋付袴(はかま)に白襷(たすき)、白足袋といういでたちで踊る、静と動の対比を強調した男踊りだそうです。
・『麦や節』のメロディーを聴く
   → http://washimo-web.jp/Information/mugiyabushi.htm


                『お小夜節』


五箇山はまた、加賀藩の流刑地でした。江戸時代には、8ケ所の流刑小屋があったと言われます。上梨の田向集落には「お縮(しま)り小屋」と言われる流刑小屋が復元されています。


元禄3年(1690年)、「加賀騒動」の首謀者4人と遊女20人が輪島(石川県)に流刑となりましたが、加賀城下一番の芸達者といわれたお小夜は、輪島の出身だったため、輪島では意味がないということで、五箇山の小原に流されました。


しかし、お小夜は流刑の身でありながら、流刑小屋ではなく土地の庄屋にあずけられ、自由に外出が許されました。美人で芸達者だったお小夜は、持ち前の芸を活かして村人たちに三味線や唄や踊りを教えたことから、たちまち村人たちの憧れの的となりました。


やがてお小夜は、吉間という村の青年と恋仲となり身ごもってしまいます。罪人の身で妊娠したことが藩に知れると吉間や村人に迷惑がかかると思い悩んだ末、お小夜は、庄川に身を投げてその一生を閉じました。


以来、お小夜は五箇山民謡の祖として語りつがれてきました。その不運な人生と非業の死、そして、民謡を伝えてくれたやさしい心根を偲んで唄い踊られてきたのがこの『お小夜節』です。


                お小夜節・歌詞


         名をつけようなら お小夜につきゃれ
         お小夜きりょうよし 声もよし 声もよし 声もよし


         峠細道 涙で越えて
         今は小原で 侘び住まい 侘び住まい 侘び住まい


         心細いよ 籠乗り渡り
         五箇の淋しさ 身にしみる 身にしみる 身にしみる


         庄の流れに 月夜の河鹿(かじか)
         二人逢う瀬の 女郎が池 女郎が池 女郎が池


         輪島出てから ことしで四年
         もとの輪島へ 帰りたい 帰りたい 帰りたい


・『お小夜節』を聴く
  → http://www.shokoren-toyama.or.jp/~gokayama/kan/min/osayo.htm
 ※ 但し、 QuickTime Plugin 4.0以降が必要です。
    QuickTime Plugin は、下記のサイトから無料でダウンロードできます。
  → http://www.apple.com/jp/quicktime/download/win.html


              『こきりこ節』


「窓のさんさもデデレコデン はれのさんさもデデレコデン」というお囃子で全国的によく知られた『こきりこ節』は、日本で一番古い民謡と言われ、五箇山を代表する民謡として唄い踊り継がれてきました。


こきりこは、「筑子」、「小切子」とも書き、二本の竹で作った簡素な楽器の名前に由来するそうです。また、特徴的なお囃子の「デデレコデン」は、太鼓の音を表したものだそうです。


大化改新にあたり豊作祈願に山伏がコケラ経を読んだのが訛(なま)って小切子となったと言われ、もともとは田踊りとして起こったもので、それが平安時代に田楽となりました。田楽や田踊りは、百姓の労をねぎらうと共に五穀豊穣を祈って、田楽法師と呼ばれる職業芸能人たちが田植えや稲刈りの間に踊ったものでした。


南北朝時代、五箇山へ吉野朝武士が放下僧(ほうかそう)となって入り、後醍醐天皇のタママツリ(慰霊祭)を白山宮前で行ったのが今日に伝承されているものだと言われています。


こきりこが演じられる際には、麻小袖姿の女性が頭にかつら紐(ひも)をして、手にしで竹を持って踊る「しで竹踊り」や、袴(はかま)姿で頭に山鳥の羽をつけた笠をかぶり、手にささらを持った放下僧の踊る「ささら踊り」などが唄にあわせて添えられます。ささらは、南京玉すだれの原型だと言われる、竹の板を束ねて半円に構えて波打たせて鳴らす楽器です。


               こきりこ節・歌詞


         筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ
         踊りたか踊れ泣く子をいくせ ササラは窓の許にある


         向の山を担ことすれば 荷縄が切れてかづかれん
         向の山に啼く鵯は 啼いては下がり啼いては上がり


         朝草刈の目をばさます 朝草刈の目をさます
         月見て歌ふ放下のコキリコ 竹の夜声の澄みわたる


〔歌詞の訳〕
こきりこの竹の長さは23cm。それより長いと袖に引っかかって邪魔になる。
踊りたければ踊りなさい。泣く子は、よこしなさい。ささらは、窓の下にあるよ。
向かいの山を担(かつ)ごうとすれば、荷縄が切れて担ぐことができない。
向こうの山で啼くひよどりは、啼いては下がり、啼いては上がりして、
朝草を刈る人々の目を覚ましてくれるよ。
月を見て歌う大道芸人のこきりこ節は、竹の音とともに夜空に澄みわたるよ。
・『こきりこ節』のメロディーを聴く
 → http://washimo-web.jp/Information/kokirikobushi.htm


【参考】
このレポートは、下記のサイトなどを参考にして書きました。
・五箇山の民謡
 → http://www.gokayama.jp/monogatari/minyou.html
・五箇山彩歳
 → http://www.shokoren-toyama.or.jp/~gokayama/top.htm
・富山県民謡(MIDI)
 → http://www.net3-tv.net/~i-am-yuriko/minyou-syoukai/toyamaken-minyou.htm
・こきりこ
 → http://www1.tst.ne.jp/calm/


2006.06.07
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