旅行記  ・棚田を訪ねて(2) − 鹿児島県栗野町幸田   


 鹿児島県北部に位置する栗野町幸田地区は、人口約870人、戸数約280戸の農村集落です。県道55号沿いにある幸田小学校前の信号から東に折れて、約4km進むと幸田頭です。幸田川に沿った山間(やまあい)に、たくさんの棚田があります。その辺の道は、狭くて離合ができず、また見通しも悪いので、慎重な運転が必要です。そんな道を登って行くと、案内板(写真右)があり、それが示す方に進んで杉林を抜けた先に、「日本の棚田百選」に選ばれた棚田があります。広々とした棚田ではなく、細長い田んぼが10枚ほど広がる棚田です。ここの石垣は、他の棚田には見られない「武者返し」のそりをもった石垣で、全体的に力強さを感じさせる景観を呈しています。国見岳や安良岳などの山々が連なるこの辺の山間には、雑木林の中に杉林が点在していて、幸田の棚田もきれいに管理された杉林を背景に一段と映えて見えます。                           (旅した日 2003年7月) 幸田の棚田は、九州自動車栗野ICまたは横川ICを下りで約20分のところにあります


「武者返し」の石垣
 「水田のお城」と呼ばれる武者返しのそりを持った石積みは、百数十年前の江戸中期に造られたと言われています。

杉林に映えて
周囲を囲む森林の、きれいに管理された杉林が棚田を一段と際立たせています。
棚田を守る
 棚田を訪れた日の雨が上がった昼下がり、たまたま一人のおばあちゃんが田の草取りをしていました。名前と歳を聞きました。「ご主人と二人で作っているんですか?」と訊ねると、75歳のこのおばあちゃんは、「主人は亡くなって、息子達が作っています。息子は、きょうは勤めに出ています。」「息子達には内緒で田んぼに出ているんですよ。」「足が悪いるので、農作業には出るなと言われています。でも、家でゴロゴロしているのは嫌いだから。」 と話してくれました。


 江戸中期、先覚者の呼びかけに住民が呼応して、武者返し的工法で丸石積みの棚田が作られ、渓流を水田に引き、代々米作りに専念してきたといわれている幸田の棚田。森から湧く水は稲に必要な微量要素を含み、昼夜の温度差、太陽の恵み、清澄な空気などの良好な生育環境と相まって良質美味な幸田米が生産されてきました。しかし、近年、労働力の流出、高齢化と後継者問題、内圧外圧、機械化、価値観の多様化など農業を取り巻く環境は年々厳しくなり、貴重な遺産・棚田が埋没するのではないかと案じられるようになりました。危機感を抱いた地域住民、行政当局、商工会、観光特産協会、JA等が一体となって、学童の地域美化活動や農業体験、山村留学、都市住民との産直交流事業など、棚田を守る取り組みが幸田でも進められています。


【備考】
(1)本ページの作成にあたって、下記のサイトを参考にしました。
 ・「栗野町役場のホームページ」(http://www.town.kurino.kagoshima.jp/
 ・まち・むら 72号(http://www.ashita.or.jp/publish/mm/72/rupo6.htm
(2)熊本城の石垣が、独特の曲線状に築かれていて、「武者返し」と呼ばれています。ご参考までに。