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旅行記 ・善通寺 − 香川県善通寺市 2017.04
 ぜんつうじ
善通寺
金堂(東院)
善通寺 空海(弘法大師)の誕生した地に建てられた寺院で、真言宗善通寺派総本山。唐より帰朝した空海が、地元の豪族であった父・佐伯直田公から四町四方の土地の寄進を受け、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して大同2年(807年)に建立を始め、弘仁4年(813年)に落成しました。
金堂(東院)
寺号の善通寺は、父の諱(いみな)である『善通』(よしみち)から採られました。現在の善通寺は『屏風浦五岳山誕生院善通寺』と号します。『屏風浦五岳山』は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳があたかも屏風のように連なることに由来し、『誕生院』の院号は、弘法大師の誕生の地であることを示しています。
 
 金堂(東院)
弘法大師の誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてきました。総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、『伽藍』と称される『東院』『誕生院』と称される『西院』の東西二院に分かれています。
五重塔(東院)
金堂、五重塔などが建ち並ぶ東院『伽藍』は、大師が自ら建立した、もともとの『善通寺』です。建立時には、金堂、大塔、講堂、法花堂など15の堂塔がありました。 しかしながら、永禄元年(1558年)の兵火によって、その時までの約750年現存していた創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。
大楠(東院)
その後、戦国時代が終わり、生駒家、京極家といった讃岐の大名をはじめとした、朝野にわたる援助により再建が進み、現代に至っています。一方、西院には、もともと、大師出自の佐伯家の邸宅がありました。その後、佐伯一族が京都に住まうことになり、後世において、その跡地に御影堂を中心とした『誕生院』が整備されました。
五百羅漢(東院)
大楠 善通寺の境内には、2本のクスノキの巨樹があります。大門に近い方を『善通寺境内の大グス』といい、樹高30m、胸高幹周11m、枝張東西24m、南北29m。また、その西北方のものを『五社明神大クス』といい、樹高40m、胸高幹周10m、枝張37m。弘法大師誕生の時より繁茂しており、樹齢は千数百年を経た大楠だそうです。
東院から仁王門(西院)を望む
金堂 善通寺の本堂。創建時の金堂は、永禄元年(1558年)、三好実休の兵火によって焼失し、現在の建物は、元禄年間(1688〜1704年)に再建されたものです。本尊・薬師如来像は、像高3メートルに及ぶ丈六の巨像で、元禄13年(1700年)に御室大仏師運長法橋によって造像されました。
仁王門(西院) 
五重塔 総高45メートルに及ぶ総欅(けやき)造の大塔で、善通寺のシンボルとして、広く人々に親しまれています。創建以来、大風や火災により、幾たびかの倒壊、焼失にあい、そのたび再建されました。現在の塔は、弘化2年(1845年)、仁孝天皇の御綸旨(りんし)により再建が始められ、明治35年(1902年)に完成したものです。
 
仁王像(西院)
仁王門 西院の正門で、外側の左右に金剛力士像が立ち、内側には大草履が奉安されています。この仁王門にかかる門前の橋は、昔は毎月20日にのみ通行できたことから、『廿日橋』(はつかばし)といいます。仁王像は、寄せ木造りで、高さは右の阿形(あぎょう)が1.94メートル、左の吽形(うんぎょう)が1.89メートル。制作仏師は不詳。
回廊(西院)
宿坊『いろは会館』 善通寺には、遍路の方あるいは遠方から参拝の方のための宿泊施設として宿坊『いろは会館』がります。通常の宿泊施設として遍路の方以外もご宿泊できます。料金は、1泊2食(夕食・朝食)で税込みで6,100円です。宿泊申し込み方法は、電話での受付のみになっています。
回廊を振り返る(西院)
御影堂(みえいどう) 弘法大師が誕生した佐伯家の邸宅地に建ち、奥殿には大師自作と伝わる本尊・瞬目大師像が密蔵されています。御影堂を中心とする『誕生院』(西院)は、建長元年(1249年)、行蓮上人によって創建されました。現在の建物は、天保2年(1831年)の建立され、昭和11年(1936年)に修築されたものです。の庄内藩の再建を進めて行くことになります。
御影堂(西院)
戒壇(かいだん)めぐり 御影堂の地下には、約100メートルの『戒壇めぐり』があります。御影堂の地下へ降りると、ろうそく1本の明かりもない真っ暗な暗闇を左手で壁を伝いながら『南無大師遍照金剛』と唱えながらすすむと、今まで積み重ねてきた罪が消えるというもの。
御影堂(西院)
しばらく歩くと暗闇のなかに、かすかな明かりが見えてきます。弘法大師が産まれた、まさに誕生の聖地の真下にあたるところで、『こんにちわ』という、現代の科学技術を駆使して復元された弘法大師様の声が聞こえてきます。とても有難い思いを抱きながら、再び左手で壁を伝いながら暗闇の中を出口に向かって歩き出します。
御影堂(西院)
善通寺の国宝 『金銅錫杖頭』(こんどう しゃくじょうとう)は、空海が唐から持ちかえったものとされています。『一字一仏法華経序品』(いちじいちぶつほけきょうじょほん)は、平安時代(11世紀)のもの。縦横に線を引いて方眼を作り、1マスごとに経文を1字あるいはは1仏を配して、経文と仏坐像の行を交互に並べ経文仏交書経。
地蔵(西院)
善通寺の重要文化財 一方、国の重要文化財には、金堂(元禄年間に再建)、五重塔(明治35年に再建)、木造地蔵菩薩立像(木造、素地、像高115.5cm、平安時代後期)、木造吉祥天立像(檜の一木造、古色、像高135.0cm、平安時代後期)、善通寺伽藍並寺領絵図が指定されています。
遍照堂(西院)
遍照閣(へんしょうかく) 昭和60年(1985年)の弘法大師1150年御遠忌記念事業の一環に研修道場として建立されました。一階ロビー正面には釈迦如来像を祀り、その奥の修法道場には、四国八十八ヶ所お砂踏み道場が開設されています。また、二階は弘法大師御尊像が祀られた160畳の講堂になっています。
正覚門(西院)
お砂踏み道場 『四国八十八ヶ所お砂踏み』とは、四国八十八ヶ所各霊場寺院の本尊が祀られ、各寺院より贈られた境内の砂をそれぞれの正面に敷き、それらを踏みながら礼拝していくことにより、四国八十八ヶ所霊場を巡拝したのと同じような功徳が積めるとされたものです。
済世橋(西院)
済世橋と正覚橋 済世橋は善通寺裏の駐車場から西院にかかる橋。昭和54年(1979年)に、駐車場からの入口となる唐風の門『正覚門』(しょうかくもん)とともに建設されました。済世橋は、弘法大師が中国に修行に渡ったおり、洛陽の洛水にかかる天下の名橋・天津橋を渡られたいう故事により、天津橋が復元されたものです。
善通寺境内案内図
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