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呼子の風景 − 佐賀県唐津市呼子町 |
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佐賀県唐津市街から国道204号線を北西へ乗合バスで20数分行くと、呼子町は壱岐水道を望む小さな港町です。戦国時代は海賊・呼子氏の、江戸時代は唐津藩の商港、避難港、そして漁港として発展した歴史を持ち、藩政時代には捕鯨業が始まり、小川島や加部島などで解体された鯨肉が陸揚げされ賑わいをみせた港町でした。そして、今は、玄海の荒波で育ったイカの活造り姿造りと80年の歴史をもつ朝市が人気の町です。朝市は、近郊の村々の農家の主婦らが荷い籠を背負って農産物を流し売りをしたのが、大正時代初期に商店街ができると、自然と流し売りをやめ商店の軒先に定着するようになったのだそうです。そんな呼子の風景をアップロードしました。 (旅した日 2007年05月) |
呼子港 |
呼子港は、江頭川が注ぎ込む深い入り江となり、さらに前面には加部島がはだかっていて、風待ち潮待ちの良港となっています。正面向こうに見えるのが加部島。。 |
イカ釣り船を象徴する集魚灯の白熱球ランプ。イカ釣りの風情を呈してくれますが、昼間はいかにも涼しげです。燃油価格の高騰によって、青色発光ダイオード(LED)の導入が全国的に検討されているようです。投入電力が、白熱球のわずか六十分の一ですむそうです。 |
港の空にたくさんの武者のぼりがはたためき、呼子の五月の雰囲気を盛り上げていました。呼子の有志で構成された『のぼり旗実行委員会』の手によって、毎年4月中頃から大綱引の日(6月第1土・日)まで掲げられるもので、全て、男の子の初節句に揚げられた後使われなくなったのぼりを町民から提供してもらったものだそうです。 |
呼子大綱引 |
呼子大綱引のポスターが貼ってあったので写してきました。もともとは旧端午の節句に行なわれていたのが、今は6月の第1土曜日(子供綱)、日曜日(大人綱)の2日間にわたって行なわれるそうです。町民を岡組と浜組に分け、直径12cm、長さ400mの大綱を引き合い、豊作(岡組が勝った場合)と大漁(浜組が勝った場合)を賭けた勝負がおこなわれます。文禄・慶長の役時代、豊臣秀吉が兵の士気を鼓舞するために、加藤清正と福島正則の陣営を東西に分け、軍船のとも綱を用いて引かせたことから始まったと伝えられています。 |
呼子朝市 |
日本三大朝市の一つといわれる呼子の朝市は、元旦と大網引の日(6月第1土・日)を除いて、毎日午前7時半から12時の間、新鮮な魚介類や食材、野菜、特産品などを並べて市が立ちます。商店の軒先に品物を並べて、団体客の到来を待ちます(写真上)。 |
朝市の事業者(売り手)はほとんどが女性で、呼子町内はもとより隣り鎮西町(東松浦郡)や唐津市からもやってきて、思い思いに品を並べています。 |
朝市は、地方に根ざした素朴さを感じさせます。呼子の朝市もそうでした。 |
玄界灘の獲れたての魚介類は、いかにも新鮮そうでした。 |
朝市通りの入口で面白い光景に出会いました。夜釣られたイカは、くるくる回させれ水切りされ、一夜干されて朝市に並びます。くるくる機械が出すキュッ、キュッ、キュッという音が悲しげに聞こえました。イカは、泳いでいる間は匹(ひき)、水揚げされると杯(はい)、干されると枚(まい)と数えます。 |
朝市の品には商札がなく、売り手と買取のやり取りで値段が決まります。 |
旧中尾家屋敷 |
呼子港は、近世はじめ以来鯨肉が陸揚げされる港としても賑わいました。鯨組の組主だった中尾甚六の住んだ旧中尾家屋敷(写真上)は江戸時代中期に建てられたもので、朝市通りの端に現存し、唐津市指定文化財となっています。 |
補 遺 | ||
本ページをご覧頂き、プラムレコード(茨城県大洗町)の筧 哲郎さんから、福岡出身の演歌歌手・千鳥綾(ちどりあや)さんの歌っている『呼子慕情』をご案内頂きました。下記の『千鳥綾(ちどりあや)応援ホームページ』を開き、『呼子慕情(動画)』をクリックして頂くと、歌を聴くことができます。また、本旅行記の画像をフラッシュファイルにして使って頂きました。同ページのプラムレコード作品『 恋もよう』 『想い』をクリックしてご覧下さい。 | ||
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