♪雨
童謡・唱歌の世界
水郷柳川 − 福岡県柳川市
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筑後川が有明海にそそぐ河口にある福岡県柳川市は水郷の町です。堀割が町中を縦横に走り、ドンコ舟で楽しむ川下りは柳川観光のメインイベントですが、柳川はまた、立花藩13万石の城下町であり、詩人・北原白秋の故郷でもあります。戦国時代、豊臣秀吉が九州を平定した際、豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂は、その功により筑後13万石を拝領し、柳川を城地に定めました。しかし、立花宗茂は関ヶ原の戦いで西軍に味方して柳川を追われ、かわって田中吉政が柳川に入封します。それから20年後の1620年に、再び立花宗茂が城主となり、以後柳川は、明治維新まで立花藩の城下町として栄えました。柳川を訪れるのは初めてでしたが、城下町と水郷の趣(おもむき)、そして北原白秋の詩情をたずねたいという思いで、船には乗らず西鉄柳川駅でレンタサイクルを借りて、2km四方の街中を散策しました。          (旅した日 2004年06月)
水郷

関ヶ原の戦いの後、立花宗茂にかわって柳川に入封した田中吉政は、堀割の整備や柳川城の築造を進めました。この時の町作りが現在の柳川の基礎となっています。つまり、町中を縦横に走る柳川の掘割は、もともとは柳川城のお堀だったのです。写真は、柳川城堀水門。この狭い水門をくぐって、たくさんの観光客を乗せたドンコ船が出入りします。

(たたず)まい
掘割になまこ壁の土蔵は柳川を代表する風景の一つです。掘割沿いには柳が植えられています。
川下り
ドンコ舟に揺られながらの1時間ちょっとの川下りは柳川観光のメインイベント。掘割の何箇所かに船着場があり、たくさんのドンコ舟がお客さんを待っています。訪れたときは、ちょうど菖蒲が満開のときでした(写真左)。川下りはデートにももってこいのようです(写真右)。
御花西洋館や並倉、白秋生家

立花藩主の別邸として元禄10(1697)年に建築されたのが御花で、7000坪の広大な敷地には庭園・松濤園(しょうとうえん)があります。写真上左は、御花の西洋館で明治時代に建てられたものです。写真下右は、北原白秋生家。白秋生家近くを流れる城南川に架かった沖ノ端(おきのはた)橋の欄干(らんかん)には、2つのレリーフがはめ込んでありました(写真上右と下左)。雪のちらつく日に並倉を過ぎ行く川下りと満開の桜の下を行く川下りの絵です。並倉は、明治後期の赤レンガ造りの建物で、この建物を過ぎ行く川下りの構図は柳川風物の一つとなっています。北原白秋は、代々柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家に生まれました。生家の大部分が、1901年(明治34年)の大火で焼けてしまいましたが、残った母屋が1969年(昭和44年)に復元されました。

 柳川さげもんめぐり
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