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高山陣屋 |
幕府の直轄地(天領)であった飛騨高山の陣屋として 177年間にわたって25代の代官・郡代が政務を行ったところ。元々高山城主金森氏の下屋敷だったものを金森氏の移封後、陣屋にしたもので、唯一現存する江戸時代の陣屋。1929年(昭和4年)に国史跡に指定されています。第21代の郡代・小野朝右衛門は山岡鉄舟の実父で、山岡鉄舟(小野鉄太郎)は少年期をこの屋敷で過ごしました。 |
山岡鉄舟 |
名は高歩(たかゆき)、通称は鉄太郎。幕末の幕臣、明治時代の政治家。禅に通じ、剣を極め、書を能くした。弘化2年(1845年)、飛騨郡代として着任した父小野朝右衛門、母磯について高山陣屋へ入った。書は高山の書家岩佐一亭に教えられ、15歳で弘法大師流入木道の伝統を継承した。剣は江戸から招請した北辰一刀流の井上清虎に学び、のち一刀流正伝を継ぎ、無刀流の一派を開いた。禅は13歳ごろに始め、国・漢学・絵画等も高山在住時代の約8年間に学ぶなど、人間形成の礎は飛騨の風土の中で培われたものと考えられる。陣屋の松をみて
降る雪と力くらべや松の枝
と詠んだ。父母の死後江戸へ帰り、のち山岡家の養子となった。勝海舟や義兄の高橋泥舟等と共に幕臣として活躍、慶応4年(1868年)3月、西郷隆盛と会見して江戸を戦火から救い、徳川家の安泰を導いた。維新後は明治天皇の侍従をつとめ宮内小輔を拝名。
52歳の5月、華族に列せられ、勲功により子爵を授けられた。翌明治21年(1888年)7月19日、病を得て結跏趺座(けっかふざ)のまま53歳の生涯を閉じ、東京谷中の全生庵に葬られた。父母の墓は高山市東山宗猷寺にある。昭和62年12月 山岡鉄舟翁顕彰会。※ 以上、岐阜県高山市の高山陣屋跡前の広場にある『若き日の山岡鉄舟』像の碑文より転載。 |
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