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旅行記 ・人形の館(山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館) −宮崎県都城市 2011.12.17 |
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人形の館 (山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館) |
人形の館(山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館)・正面外観 |
都城市山之口町 鹿児島県と県境を接し霧島連山を北西に望む都城盆地の一角に位置する山之口町は、交通の要衝となる場所だったことから、中世より江戸時代まで権力者の領地争いが続いた場所でした。慶長19年(1614年)になると薩摩藩の直轄地となり、その後本藩より派遣された『郷士』による統治が行われるようになりました。今に伝わる山之口麓文弥節人形浄瑠璃も参勤交代で江戸へ行った郷士たちが上方から持ち帰ったものでした。郷士たちが住んだ麓地区は、今も当時の武家屋敷の面影を残しており、現在の人形の館(山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館)のあるところに、当時の役所(地頭仮屋)がありました。 | ||
宮崎県都城市の位置 |
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子供たち用や出張上演用のために別途準備されている27体の人形たち | ||||
参考(『出世景清』のあらすじ) | ||||
〔初段〕尾張の熱田大宮司のもとに身を寄せて、その娘小野姫をめとった平家の侍大将・景清は、源頼朝に対し主家の恨みを晴らそうと、かねてから機会をうかがっていました。まず畠山重忠を討とうと、東大寺大仏殿再興の指揮にあたっていた重忠に、人足にまじって近づくのですが、発見されてしまい、あやうくのところを切り抜けて逃げのびます。〔二段〕景清は、遊女・阿古屋とその間に生れた弥右、弥若という二人の息子のもとに身を寄せます。優しく景清を迎えた阿古屋ですが、小野姫から届いた景清あての偽手紙に嫉妬し、兄・十蔵の企てに乗り、幕府に居場所を知らせてしまいます。夜半、奉行所の手勢に囲まれた景清は、やっとのことで難を逃れます。〔三段〕幕府は景清をおびき出すために、大宮司と小野姫を捕らえ、拷問にかけます。耐えかねた景清は自首し、捕らえられてしまうのです。〔四段〕六波羅の牢獄につながれた景清を人目を忍んで慰める小野姫。阿古屋も子供を連れて詫びに来ますが、景清の怒りはとけません。思い余った阿古屋は景清の目の前で子供を刺し、自害していまいます。茫然とする景清を汚くののしる十蔵。ついに景清は牢を破って十蔵を殺害し、再び牢舎に入って、日夜、経典を読むのでした。〔五段〕頼朝は大仏供養のため天下の罪人を赦免しますが、景清だけは許されず、首をはねられようとします。ところが景清の首はその瞬間、観音様の御首に変っていたのでした。この不思議な出来事に、頼朝は景清を許し、日向国に戻すことを約束します。頼朝のもとに引き出された景清はこの時とばかり飛びかかりますが、果たせません。つのる頼朝への怨念を絶つために、景清は自ら両目をくりぬき、盲目となって日向へ下っていくのでした。(以上、あらすじは、人形の館のパネル『演目とその人形たち』から) | ||||
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