|
♪Please Don't Go | ||
Blue Piano Man | ||
通潤橋、霊台橋 − 熊本県山都町・美里町 |
( |
熊本(肥後)は、西洋工法技術の影響を受けないで明治初期までに架設されたアーチ式石橋、いわゆる『眼鏡橋』のメッカで、霊台橋、通潤橋を筆頭に80基以上の眼鏡橋(全国の眼鏡橋の半数近くに当たる)があるといわれます。これらの石橋を建造したのは、岩永三五郎らをはじめとする『種山石工』と呼ばれた技術者集団でした。水不足で苦しむ不毛の台地に灌漑(かんがい)用と飲用の水を送るためにつくられた水道橋である『通潤橋』(つうじゅんきょう)と、日本最大の単一アーチ橋である『霊台橋』(れいたいきょう)を訪ねました。 (旅した日 2006年09月) |
通潤橋(つうじゅんきょう)・上益城郡山都町(旧矢部町)長原 橋の長さ 75.6m、橋の幅 6.3m、橋の高さ 20.2m、石管の長さ 126.9m。安政元年(1854年)に着工、 宇市、丈八(橋本勘五朗)、甚平の三兄弟が、種山石工の技術を結集して1年8ヶ月をかけて完成。 |
安政元年(1854年)と言えば、江戸はペリーの来航で大騒ぎの最中でした。 阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)の白糸台地は当時、水に乏しく、 田んぼの水はもちろん、飲み水も足りない状態でした。 |
このような人々の苦しむ姿を見かねた矢部惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)は、 6km離れた笹原川から水を引き、連通管の原理を利用した 通潤橋を完成させました。上の写真のように、飲用と灌漑用の石造の水道が3つ通されています。 |
水道は一方の高いところ(上の写真の左上側)に取水口を設け、 平坦な橋を通り、その勢いで対岸の高いところ(上の写真の右手前側)に水を吹き上げる方法で、 一昼夜で1万5千トンの水を送る能力を持っています。 |
この橋の完成によって、白糸台地に100haの水田が開けました。 |
橋の中央には、両側に水路掃除のための放水口があります。さぁ〜、栓を抜いて放水口から放水が始まりました。 |
土・日曜日および祝祭日の正午に定期的に無料放水(15分間)されるほか、1回5千円で有料放水もあります。 |
放水口が裏側に一ヶ所(写真上)、表側に二ヶ所(写真下)あって、3本の水道とつながっています。 |
橋の上にも、下にも、回りにも見物客がいます。 |
もともと水を通す水道橋であるため欄干がありません。小さな子供も橋の上から下を覗きます。 とても危ないなと思いますが、今まで落下事故は起きていないそうです。 |
通潤橋のまわりでは、稲刈りを控えた田んぼの畦に彼岸花が咲いていました(写真下)。 |
霊台橋 (れいたいきょう)・下益城郡美里町(旧砥用町)清水 橋の長さ 89.9m、橋の幅 5.4m、橋の高さ 16.0m。弘化4年(1847年)に完成。 緑川に掛けられた日本最大の単一アーチ橋。当時の惣庄屋(そうじょうや)篠原善兵衛の要請で、石工・卯助 (通潤橋の橋本勘五郎の兄)と大工・伴七が、種山石工の技術を結集して建造した橋です。 国道218号線沿いの、わかりやすい場所にあります。 |
|
|||||||
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved. | |||||||