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旅行記 ・殿様湯跡と湯権現 − 鹿児島県指宿市  2013.09
殿様湯跡
殿様湯跡(洋風のタイルに往時の風格が忍ばれます)
殿様湯跡 殿様湯跡は、指宿市西方二月田(にがつでん)にある島津家の温泉行館(別荘)跡です。島津氏は、元禄16年(1703年)まで摺ヶ浜(すりがはま)に、寛政期には長井に温泉行館を設けていましたが、天保2年(1831年)に第10代薩摩藩主島津斉興(なりおき)公によってここ二月田に移されました。その後、島津藩主代々の温泉行館となり人々は『殿様湯』と呼びました。浴場は山川石と呼ばれる加工しやすい凝灰岩を組み合わせて造られており、お湯は湯源より4つの湯つぼを次々にまわり、適温になるように工夫されています。
殿様湯跡(左手に湯権現)
現在、敷石などは昔のまま保存されており、当時張られた浴室の洋風のタイルは殿様湯の風格をしのばせます。腰元衆の浴室の裏には、『足軽以下。是れより内に入る可からず』と美しい字で彫刻した注意書きが今も残っています。殿様湯跡の敷地内に、『藩主島津公別墅趾』(写真下)の碑が建っています。墅は『しょ』と読み、この字自体が別荘を意味しており、山中にある別荘(山荘)なら山墅、村里にある別荘なら村墅などと書くようです。
『藩主島津公別墅趾』の碑(後方は湯権現)
二月田温泉
殿様湯
殿様湯跡の表隣にある二月田温泉
二月田温泉『殿様湯』 殿様湯跡の表隣にある『二月田温泉』は、明治に民間に払い下げられ、昭和33年(1958年)に公衆浴場となった温泉ながら、名前も『殿様湯』となっており、湯船には島津家の丸に十の字の家紋が入り、由緒ある温泉の名残を引き継いでいます。浴場入口に掲げてある指宿市指定文化財殿様湯跡の由来書には以下のようにあります。 『当温泉場は第10代薩摩藩主島津斉興(なりおき)公が創建された別荘の遺跡です。斉興公はこの湯は諸病に特別の効能のあることを喜び文政10年(1828年)に湯殿を造り、天保2年(1831年)弥次ヶ湯より長井温泉行館をここに移されました。
浴場入口(由来書が掲げられています)
当時は、30余棟の館(やかた)と趣向をこらした豪華な湯殿を備え、島津藩主代々の行館として俗に殿様湯と称されました。その後、斉彬(なりあきら)公、忠義公、久光公もしばしば逗留され、指宿の雄大な景観を併せ賞せられた由緒深い所です。明治28年(1895年)今林傳太郎の所有となり、現在その孫、今林益弘が経営し、昭和59年(1984年)建物等の老朽化のため一部を残して改築し、今日に至っています。 昭和62年3月1日 今林益弘』
当時の名残りが感じられる湯船
ゆのごんげん
湯権現
湯の神様を祭った湯権現
湯権現(ゆのごんげん) 湯権現は温泉の恵みに感謝し温泉の神様を祭った神社で、1800年(寛政12年)に第9代藩主・島津斉宣(なりのぶ)公の命により、濱崎家第五代湊太左衛門貞章が長井に造営し、1801年(享和元年)4月落成しました。第10代藩主・島津斉興(なりおき)公が、1831年(天保2年)長井温泉行館をこの地に移した折、同時に移築されました。
扁額(有栖川宮識仁親王の染書)
石碑は、第6代濱崎太平次の献上といわれ、境内には奉寄進文政十一年(一八一八年)三月吉日島津藩家老・調所笑左衛門廣郷(ずしょようえもんひろさと)と刻んだ手水鉢もあります。また、社頭の『湯権現』の扁額は、有栖川宮識仁(ありすがわのみやさとひと)親王の染書といわれます。
『調所笑左衛門廣郷』の刻銘のある手水鉢
         
 濱崎太平次ゆかりの地を訪ねて
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