旅行記  ・田の神を訪ねて − 鹿児島県   



鹿児島の田んぼのあぜみちを歩いていると、「田の神さあ(タノカンサア)」とよばれる石像をよく見かけます。田の神は、その名の示す通り田んぼを守り、米作りの豊作をもたらす農業神です。稲作のある日本全国の各地で信仰され伝承されていますが、それが石像として田んぼのあぜなどにあるのは、鹿児島を中心とした旧薩摩藩領(鹿児島県本土および宮崎県南部)に限られます。現在、約2000体の田の神が確認されていると言われています。印象的な『田の神さあ』を訪ね、随時ホームページにアップロードして行きます。レポート 『田の神さあ』 と併せてご覧下さい。

                                             
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日木山里(加治木町)
日木山里の田の神
加治木町日木山
1830〜1843年(天保年間)
石工・名島喜六の作
町指定文化財


蔵王岳南麓の加治木工業高校裏手にひっそりと立っています。以前は、一面の田んぼを見守るように立っていたのでしょうが、最近は近くに道路が通り、住宅も建て込んできています。 


頭には甑(こしき)のシキ(わら製の編み物)を被り、右手にメシゲを持ち、左手はシキを押さえています。ユーモラスな笑顔の目、鼻、口がとても表情豊かに刻まれています。袖(そで)を、襷(たすき)で短くたくし上げ、今にも踊り出しそうな所作(しょさ)は、田の神舞(タノカンメ)のひとこまでしょう。


この田の神は、1984(昭和59)年に東京で開催された「ほほえみの石仏展」の会場正面に飾られ、全国から集った石仏の中でも、ひときわ目立っていたそうです。


下久徳(蒲生町)

下久徳の田の神
蒲生町下久徳三池原上
1768年(明和5年)頃の作
県指定有形民俗文化財
(1968.3.29指定)

「日本一の大クス」で有名な蒲生(かもう)町の、国道42号線沿いの蒲生高校の横に立っています。この田の神がつくられたのは、江戸時代中期の1768年(明和5年)頃といわれ、石碑型の田の神の中では最っとも古いといわれています。


高さ1.30m、幅70pの自然石の前面を舟の形に彫ってくぼめ、そのなかに80pの田の神の像が浮き彫りにされています。田の神は、上下とも短い衣類を身にまとった農作業姿で、右手にしゃもじ、左手におわんを握っています。また、衣類の部分には赤いベンガラの顔料が塗られています。
 

                                                                   
(取材した日 2003年11月)


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