メヌエット(パーセル)
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塩田宿 − 佐賀県嬉野市塩田町
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有明海にそそぐ塩田川を河口からさかのぼること6〜7km。佐賀県嬉野市塩田町は、小倉から国内唯一の開港の地であった長崎に通じるかつての長崎街道(延長228km)二十五宿のうちの一つとして、また有明海の干満の差を利用した、陶磁器やその原料となる天草陶石、肥料、農産物などの積み下ろし、積み上げ川港として発展した町でした。2006年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された街並みには、重厚な土蔵造り旧商家が建ち並び、藩政期に遡る町割や地割、街路、水路、居蔵造の町家といった歴史的・文化的財産が良好に継承されています。旧長崎街道の宿場と川港という2つの機能のもとに栄えた塩田宿の面影を訪ねました。
                                         (旅した日 2008年05月)
 
 
塩田宿
塩田津伝統的建造物群保存地区)
塩田津は、寛永16年(1639年)に佐賀藩の支藩である蓮地藩の飛び地として領地に組み入れられ、その西目統治の拠点として、頭人役所や藩主の休憩施設である上使屋が置かれました。
塩田宿は、長崎街道の宿場町であるばかりでなく、有明海沿岸に沿って伸びる多良街道の起点の宿場町でもありました。
そして、宿場町としての役割に加え、有明海の干満の差を利用して、陶磁器やその原料となる天草陶石、肥料や農産物などの積み下ろし、積み上げを行う川港としても発展し、佐賀南西部における経済の中心地として栄えました。
明治初めの廃藩置県で行政拠点としての役割はなくなったものの、川港は昭和8年(1933年)に荷揚場の拡張がなされて最盛期を迎えました。
きれいに整備された塩田宿の家並み。電線も地中に埋設され、電柱や電線が景観を乱すこともなく、通りはすっきりしています。
杉光家住宅(写真上、国指定有形登録文化財)は、木造3階建ての堂々たる町家で、江戸末期の建造。杉光家もかつては廻船問屋を営んでいました。現在は陶磁器店となっています。杉光家住宅に隣接する西岡家住宅は、塩田宿屈指の廻船問屋で住宅は国の重要文化財に指定されていますが、残念ながら補修中でシートに覆われていました。
西岡家住宅も杉光家住宅も表は長崎街道、裏は塩田川に面していました。塩田検量所跡(写真上)を抜ければ荷揚げ場跡へ(上の写真で手前が、塩田川)。検量所は、船から降ろした荷物をトラックに載せ、そのトラックごと検量する施設でした。水運でも栄えた塩田宿の面影がうかがえます。
塩田宿は、酒造り・紙漉き・石工・大工・陶磁器など、ものづくりを営む匠の技が息づく街でした。 現在、塩田職人組合が組織され、青少年育成をはじめ、半世紀前に途絶えた伝統産業の復興等の活動を行っているそうです。
職人の町を彷彿とさせる木炭屋さんの看板(写真上)です。
塩田宿の街角には、いたるところに、商売繁盛を祈願する恵比寿(エビス)像がみられます。街道から脇に入った参道の奥に、本応寺の山門が小さく見える。
  
  
 志田焼の里博物館  嬉野温泉  
  
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