♪アヴェ・マリア(カッチーニ)
Piano1001
秘境〜椎葉 − 宮崎県椎葉村
                        (
平家追討伝説と民謡ひえつき節で知られる宮崎県椎葉村は、周囲を1,400〜1,700m級の険しい山々に囲まれた九州山地の奥深い秘境の地にあります。西(熊本県五家荘)から入るにしても、南(熊本県人吉)から入るにしても、あるいは東(宮崎県日向)から入るにしても、車の離合もままならない曲がりくねった道を延々と進まねばなりません。国道と言っても舗装こそしてあれ、林道のような道路を人吉からやっとの思いで椎葉村に入ったのですが、中心部に至る道路が台風による崖崩れで通行止めとなっていて、再び険しい山越えの村道を迂回する羽目になりました。お蔭で秘境を訪れるの感を幾倍にもしたのでした。民家は奥深い山の中腹に一軒かあるいは2〜3軒が点在し、稲作や畑作の出来そうな耕地も少なく、まさしく秘境の地という印象を受けます。そんな椎葉村の雰囲気の一端をアップロードしました。                            (旅した日 2004年11月)
山間の民家
13戸がまとまって軒を連ねる十根川地区(重要伝統的建造物郡保存地区)(写真下右)を除けば、民家は一軒屋か2〜3軒が点在しています(写真上左)。やはり隠れ里としての機能がそうさせたのでしょうか。写真上右は、大イチョウの植わっている旧松尾村の庄屋跡からの眺望です。庄屋は点在する家々を見下ろす場所にあったようです。椎葉村では、稲作ができる棚田さえ珍しい光景です。写真下左は、稲掛けではなく、蕎麦(そば)が掛け干しされていました
  
鶴富屋敷(那須家住宅)国の重要文化財
鶴富姫と大八郎が過ごした住まいと言われる鶴富屋敷(正式には、那須家住宅)(写真上左、写真下左)。鶴富屋敷から眺める椎葉の山々(写真上右)。鶴富屋敷の下に軒を連ねる数軒の食堂やお土産屋(写真下左)。
   
鶴富姫伝説とひえつき節
『鶴富姫伝説』
壇の浦の戦いに敗れた平家の残党がようやくたどり着いたのは九州山地の山深き椎葉でした。しかし、椎葉の隠れ里も源頼朝の知るところとなり、那須与一宗高の弟・那須大八郎宗久が追討の命を受けます。大八郎が探し当てて、椎葉で目にしたものは、かつての栄華もよそに、ひっそりと農耕に営み、つつましやかに生きる平家一門の姿でした。大八郎は追討を断念し、平和な村つくりを支援します。やがて、平清盛の末裔である鶴富姫と恋仲になった大八郎でしたが、幕府から鎌倉への帰還命令が出され、大八郎の子を身ごもった鶴富姫を残して出立します。生まれたのはかわいい女の子でした。後に婿を迎え、那須下野守と名乗らせます。大八郎と鶴富姫の過ごした住まいが、国の重要文化財「鶴富屋敷」(那須家住宅)です
 
『ひえつき節』は、椎葉村で稗搗き作業の時に唄われていた民謡です。鶴富姫と大八郎との恋と別れが歌い込まれています。
 
『鶴富姫化粧の水』(写真左)
鶴富屋敷のすぐ下にある、鶴富姫が化粧に使ったと言われる湧き水で今でも湧き続けています。
『椎葉厳島神社』(写真下)
平清盛が創建した広島県の厳島神社をここに分社したのは那須大八郎と伝えられています。
椎葉の巨木
『八村(やむら)杉』(写真上左)
樹齢約800年
幹周13.3m
樹高54m

十根川地区の十根川神社の境内にある大杉。那須大八郎宗久が植えたと言われています(国の天然記念物)。
 
『大久保大ヒノキ』(写真上右)
樹齢約800年
幹周9.3m
樹高32m

八村杉から車で10数分上った大久保地区にある大ヒノキ(県の天然記念物)。
 

『松尾の大イチョウ』(写真左)
樹齢約700年
幹周5.5m
樹高32m

旧松尾村を見下ろす庄屋跡の片隅に静かに立つ大イチョウ。このイチョウの葉の色を見れば、麦づくりの時期がわかると言われているそうです(県の天然記念物)。
どの木も、狭幅の曲がりくねった道を登ったところにあり、たどり着くのに難儀しました。
峠を越えて・・・

山道を、まさしくクロスカントリーのカーレースのように2時間以上走って、やっとたどり着いたのがこの峠(写真左)です。少し幅が広くなったところで、『癒しの水どころ・よこ井水』と言う案内板がありました。左手の土手から湧き水が流れ出ています。手ですくって飲みました。写真右は、峠から眺望する九州山地の山々。
 
この峠から、20km下ってやっと鶴富屋敷にたどり着くことになります。
 
さすがに、当日の夜は右足が小刻みに震えているではありませんか。



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