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旅行記 ・佐多旧薬園 − 鹿児島県南大隅町 2019.02.26
 
佐多旧薬園
佐多旧薬園
佐多旧薬園(さたきゅうやくえん)は、鹿児島県肝属郡南大隅町佐多伊座敷にある薩摩藩直営の植物園跡です。貞享(じょうきょう)4年(1687年)に新納時升が藩主に献上した龍眼(リュウガン)を植えたのが始まりといわれまするが、正確な設置年月日は明らかにされていません。
佐多旧薬園 
その後琉球経由で輸入した南方の植物を中心に植えられ、園内には龍眼の他にレイシ(ライチ)、赤鉄(アカテツ)、オオバゴムノキ、バンジロウなど南方系の珍しい熱帯植物が繁茂していました。薩摩藩は、佐多薬園のほか山川薬園(現指宿市)と吉野薬園(現鹿児島市)を開設していました。
佐多旧薬園
しかし、山川、吉野の2カ所がほとんど現状を留めていないのに対し、佐多薬園は30アール(3,000平方メートル)の土地に藩政当時の植物がそのまま植わっており、貴重な場所として昭和7年(1932年)10月9日に国の史跡(史跡名勝天然記念物)に指定されました。
レイシ(ライチ) 
(史跡)佐多旧薬園(以下、南大隅町教育員会の案内板より転載) 佐多薬園は、もと伊座敷村(現南大隅町佐多伊座敷)字堀切および上之園平の二園からなり、俗に龍眼山と称した。三国名勝図会(薩摩藩が1843年に編纂した、領内の地誌や名所を記した文書)に「薬園」として「伊座敷村にあり、二園あり、当邑は本藩の境内最南端にて暖気の地なる故、草木の性寒を畏れる者も能生長せり、故に、本府より薬園を置く、種々の奇薬珍果の類、若干種を植ゆ此薬園日本の諸国になき草木も、能生長する処なれば、真に奇宝の薬園と云うべし。
 
 
 レイシ(ライチ)   龍眼(リュウガン) 
レイシ(茘枝、ライチ)はムクロジ科の果樹。中国の嶺南地方原産で、熱帯・亜熱帯地方で栽培される。花は黄緑色で春に咲き、果実(仮種皮)は夏に熟し、表面は赤くうろこ状で果皮をむくと食用になる白色半透明で多汁の果肉があり、その中に大きい種子が1個ある。上品な甘さと香りから中国では古代より珍重され、楊貴妃が華南から都長安まで早馬で運ばせた話が有名である。中国南部の華南から四川省南部、雲南省にかけての地域、台湾、タイやベトナムなどの東南アジア、オーストラリア北部、フロリダ、ハワイ、レユニオン、マダガスカルで商業的な栽培が行われている。日本では初夏を中心に、主に台湾から生で輸入したものがスーパーマーケットなどで入手できる。また、最近では沖縄産のものも出回っている。
 
  リュウガン(龍眼)はムクロジ科ムクロジ属の常緑小高木。東南アジアから中国南部が原産。主な生産地は福建省など中国南部、台湾、タイ、ラオス、インドネシア、ベトナム、日本では沖縄の八重山列島などの一部地域。台湾や沖縄での果実の収穫期は7〜8月。丸く茶褐色の果実をブドウの房のように一度に多く実らせる。果肉(仮種皮)はブドウに似た白く果汁の多いゼリー状で、中に大きな種子が一つある。名前はこれを龍の眼に例えたことに由来する。ライチに似ているが、ライチに比べて実は小さく種子が大きいため可食部が少ない。独特な香りと味があり好みが分かれる。ジュース、缶詰、アイスクリームの材料として利用される。中国料理や漢方では果肉を乾燥したものが利用される。(写真は Wikipedia より借用)
龍眼(リュウガン) 
此薬園創めて開れたる年月詳ならず、或は宝暦、明和の頃に、国老菱刈実詮建議して創建せりという」とある。龍眼の木の植栽については、同薬園伝来の文書(現在磯尚古集成館蔵)に、)に、貞享四年(1687年)四月十一日付の「佐多伊座敷村之内龍眼之木植場目録」があり、それによると新納時升進上の龍眼の木植付のため下屋敷三畝部の地を指定したことが明らかである。当薬園における龍眼以外の植物、薬種の栽培については明証を欠くが、ほかに吉野および山川にも薬園があり、いずれも開明藩主島津重豪(しげひで、1745年〜1833年)が経営につとめたものという。昭和六十一年十月南大隅町教育員会。
   
龍眼(リュウガン) 
史跡 佐多旧薬園(以下、記念碑より転載)この薬園は貞享四年(1687年)新納時升が藩主に献上した龍眼樹を植えたのが、その起りといわれ、のち宝暦・明和の頃より薬草木を栽培したと伝えられる。いま域内には、龍眼、レイシ、赤鉄、オオバゴム等がよく育生しているが、龍眼山ともいわれているように龍眼が最も著名である。
園内の樹木
〔龍眼。現在三十株あり、幹数は五十四本、東南アジアの原産で、毎年十月中旬〜下旬に果実が成熟する。熱帯樹であるため内地の他地方では育生が困難であるが、本園のものは樹高七・五〜十二メートルにおよび壮観を呈している。〕このように江戸時代に熱帯性植物を栽培した極めて珍しい薬園の旧態をよくとどめ昭和七年(1932年)十月十九日史跡に指定された。文化財保護委員会。管理団体 佐多町。
 
史跡記念碑(佐多町) 
篤姫とレイシ 第13代将軍・徳川家定に嫁いだ篤姫が甘い物好きだったため、養父である島津斉彬が『蜂蜜漬けのレイシの実』を大奥の篤姫に贈ったという記録が島津家の歴史をまとめた『斉彬公史料』に残っているそうです。篤姫が味わったライチはこの薬園で収穫されたものだと考えられます。
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NHK新日本風土記アーカイブス 篤姫紀行(佐多旧楽園 藩主斉彬の足跡)
 
史跡佐多薬園賛歌
 
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