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旅行記 ・ピサの斜塔 − イタリア(9) 2014.07
ピサのドゥオモ広場
ドゥオモ広場に建つ、洗礼堂、大聖堂、鐘楼(ピサの斜塔)、墓所回廊(写真の左端)
ドゥオモ広場 ピサ(Pisa)は、イタリア共和国トスカーナ州のティレニア海に面した港湾都市。人口はその周辺地域を含んで約8万6000人。街はアルノ川両岸に栄え、11〜13世紀にはベネチア、ジェノバ、アマルフィと並び地中海商業圏で権勢を誇る4大海洋共和国のひとつでしたが、1509年にメディチ家によって征服されました。ピサといえば『斜塔』が世界的に有名ですが、これはピサのはずれにあるドゥオモ広場に建つ4つの建物(洗礼堂大聖堂鐘楼(ピサの斜塔)および墓所回廊)の中のひとつです。ドゥオモ広場は『奇跡の広場』(Piazza dei Miracoli)ともよばれ、1987年に世界遺産に登録されました。
ピサ大聖堂
大聖堂(ドゥオモ)
大聖堂(ドゥオモ) ドゥオモ広場は一面の緑の芝生が印象的。その緑の中央にそびえるのが大聖堂。都市国家であったピサが、1063年にパレルモ沖でサラセン(現在のシリアからサウジアラビアにまたがる地域の砂漠遊牧民)の艦隊を破ったことを記念して建築され始めたといわれます。建物は、奥行きが約100m、幅約30mで、上から眺めるとラテン十字の形をしています。
大聖堂のファサード(西正面)
内部は、円柱が密に並び、五廊式となっています。使用された円柱の多くは戦利品として、パレルモのモスクから運ばれたものともいわれ、内装はビサンティン様式の影響も見えます。建造物自体はロマネスク建築と考えられ、建物内部にはピサの人々に愛された、聖ラニエリ とハインリッヒ7世の墓があります。後陣の半円蓋はモザイクで装飾されています(写真下)。
大聖堂内部
ガリレオのランプ 身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプ(シャンデリア)は『ガリレオのランプ』とよばれ、ガリレオがこのランプの揺れをみて『振り子の等時性』を発見したと伝わっていますが、これも事実ではないと考えられています。説教壇は、14世紀の始め頃に作られた、イタリア・ゴシック様式を代表する彫刻として知られています。
『ガリレオのランプ』と天井装飾
ピサの斜塔
大聖堂と鐘楼(ピサの斜塔)
円筒形の8階建てで、階段は296段(294段という説もある)あります。高さは55m。円筒形の外径は約20m、内径は約4.5m。建物全体の総重量は、14,453t (推定)。1173年に着工し、幾度も工事を中断。1372年に完成という非常に長い期間に渡って建築工事が行われました。工事が長引いた原因は、着工直後から始まった塔の傾きでした。
鐘楼(ピサの斜塔)
このため、塔は本来100m以上の高さが予定されていましたが、約半分の高さで完成を余儀なくされたといわれています。アルノ川が運んできた砂地が含まれていたため、建物の基礎を深くつくるには地盤が弱過ぎたことが、傾きが生じた主な原因とされています。塔は現在、中心線から南に向って約4m(1350年の時は1.8m) 、角度にして約3.99度傾いています(工事前は5度)。
 よくある定番写真
16世紀に、ガリレオ・ガリレイによる落下の実験が行われたという伝説が残っていますが、ガリレオがピサで実験を行った事実は無いとされています。ピサの斜塔の設計者は未だ分かっておらず、現在も論争中だそうです。近年、傾斜の増加が著しくなったため、1990年に一時立ち入り禁止となりました。 そして、2001年12月、10年間にわたる傾斜防止作業が終了し、一般公開が再開されました。
洗礼堂
大聖堂付属洗礼堂
洗礼堂は大聖堂の西側に建っている円筒形の建物。直径約35m。着工は1152年で完成に200年以上を要しました。全体は白い大理石で、建物の下側がロマネスク様式で大聖堂と同じような列柱とアーチで装飾されています。しかし、上側はゴシック様式を示している尖塔群で装飾された珍しい建物です。屋根が片面だけ銅板葺きとなっているのは建設中予算不足になったためです。
洗礼堂
【参考サイト】
(1)ピサのドゥオモ広場 - Wikipedia
(2)ピサの斜塔 - Wikipedia
(3)ピサ大聖堂 - Wikipedia
  
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