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青梅・映画看板の街 |
東京駅からJR中央線で西へ 約38kmへ走ると立川駅。さらにJR青梅線へ入って西へ約19km。直通の青梅特快は JR東京駅・青梅駅間を約1時間20分でつないでいます。 |
JR青梅駅でおりて南へ約100m歩けば 旧青梅街道へ出ます。そこから東へ約400mの街道沿いの建物に昭和30年代(1955〜65年代)を 彷彿とさせる映画看板が数多く掲げられています。 |
今は青梅の町に映画館は一軒もありませんが、 昭和40年代(1965〜75年代)までは3つの映画館があって、それら3つの映画館の 看板描きに携わっていたのが、久保板観さん(74)でした。 |
久保さんは、昭和16年(1941年)、 青梅市生まれ。中学卒業後、独学で映画看板の世界へ、最盛期には 1日1枚のペースで映画看板を描き続けたそうです。 |
しかし、昭和48年(1973年)に映画産業の 衰退により、青梅の映画館すべてが閉館すると、映画看板を描く必要がなくなり、以後、 看板店、高利貸し、アコーディオン等で生計を立てました。 |
そんななかで、20年振りに看板を 描く機会が訪れます。平成5年(1994年)に、青梅の商店街が開いた『青梅宿アートフェスティバル』で、 昔の名画の看板を作って欲しいと依頼が来たのでした。 |
この時の映画看板が 評判になり、以来、町おこしの一環として久保さんの描く 映画看板が街に飾り続けられました。 |
さらにその後、 明星大学の学生が、商店街とコラボで映画看板づくりに参加するようになり、 現在のような『映画看板街道』が出来上がりました。 |
『怪猫二十面相』『第三の猫』に、 『町はシュールな映画館』というキャッチコピーが(写真上)。シュールとは、現実離れした、 奇抜な、幻想的な、非日常的な、といった意味です。 |
CDショップのマイナー堂さんは、最初、 『俺たちに明日はない』の映画看板を掲げていましたが、縁起でもないというので、今は、お客様のカムバックを 狙って、『シェーンカムバック』の看板を掲げています(写真上)。 |
秋川街道の起点である住江町交差点の 風景(写真上)。『晩春』(ばんしゅん)は、1949年(昭和24年)に公開された小津安二郎監督の 日本映画。出演者 原節子、笠智衆、月丘夢路。 |
『青梅赤塚不二夫会館』(写真上)は、 かつて外科医院だった建物を残し、2003年にオープンしました。昭和を代表するギャグまんが王・ 赤塚不二夫さん(1935〜2008年)の絵や写真が展示されています。 |
『昭和レトロ商品博物館』(写真上)は、 昭和B級文化研究家の串間努氏が長年かけて蒐集した基本資料を基に、平成11年(2009年)に開館しました。 昭和時代に消費されてきた一般商品の包装紙料が一堂に展示されています。 |
『終着駅』(写真上)は、1953年(昭和29年)公開の アメリカ映画(原題:Stazione Termini)。この映画の邦題から『終着駅』という新しい言葉が生まれました。 『鞍馬天狗 御用盗異変』は、1956年(昭和31年)の作品。 |
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