♪無言歌(フォーレ)
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大畑駅〜肥薩線の駅 − 熊本県人吉市
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熊本県の八代を起点に球磨川に沿って人吉まで走り、さらに山間をぬって、鹿児島県の錦江湾に臨む町、隼人に至る全長124km余りの肥薩線は途中、熊本県の人吉と鹿児島県の吉松間で高低差の厳しい矢岳越えをしなければなりません。そのため、吉松側の真幸(まさき)駅と人吉側の大畑(おこば)駅がスイッチバックを持った駅とされ、大畑駅はさらに、日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックを併せ持った駅とされました。大畑駅は、『おこば』と読む駅名も珍しいですが、開業当時の歴史を物語る『給水塔跡』や『洗顔場』などもあったりして、マニアに人気の駅となっています。人吉〜吉松間を運行する観光列車『いさぶろう』『しんぺい』が満員の乗客で賑わう2008年のGWに大畑駅を訪ねました。            (旅した日 2008年05月)  


大畑(おこば)
1909年(明治42年)11月21日に信号所として開業。同年12月26日旅客扱い開始。1927年(昭和2年)10月、海岸ルート(川内本線)が全通するまでの約18年間、肥薩線が鹿児島本線でした。駅の所在地/熊本県人吉市大畑麓町。
1986年(昭和61年)11月、電子閉塞装置導入により無人化。 1987年(昭和62年)4月、国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)が継承。
木造の駅舎は、開業当時のものですが、観光列車『いさぶろう』『しんぺい』の運行に合わせて、窓枠を木造に戻すなど、開業当初の雰囲気を再現する改装が行われました。
− 緑陰の駅舎で 〜 家族 −
駅待合室の壁に貼られた名刺の数々。全国から訪れた人々が名刺を残していく駅としても知られています。 


大畑駅の歴史
         駅名の由来

『こば』は『焼畑』のことで、この駅の近辺では大掛かりな焼畑が行われていたので、『大きなこば』といい、それが縮まって『おこば』になったらしいです。観光列車の車内アナウンスの説明です。しかし、どの辞典を調べてみても『畑』を『こば』とは呼ばないようです。辞典にあるのは、『木場(こば)』で、伐採した木を集めておく山間の狭い平地という意味の他に、山間の農耕地、また、焼畑とあります。長崎県の対馬や熊本県の五家荘などの焼畑の記事にも、木場と出てくるので、『こば』は本来はこの字を当てるのでしょう。

        給水塔と洗顔場

現在でも大畑駅の周りには人家がありません。大畑駅は、集落から歩いて一時間もかかるようなところに設置されました。つまり、開業当時走っていた蒸気機関車のために設けられた、信号所と給水所としての役割が大きかった駅だったのです。蒸気機関車は、多量の石炭を消費し、ボイラーには常に多量の水を送り続けなければなりませんでした。人吉駅から連続した勾配を登り続けてきたD51型蒸気機関車は、すっかり水を使い果たし、さらに急勾配の矢岳越えに備えて給水の必要がありました。

また、大畑駅は機関士たちの休憩基地でもありました。機関車の吐き出す煤(すす)で顔を汚した機関士たちはホームに設けられた朝顔型の湧水盆で顔を洗いました。

休憩基地や信号所となる停車場を設置するには、平坦な場所(勾配があれば蒸気機関車は再起動できない)を確保する必要がありました。そのため、ループ線に差しかかる直前のところにスイッチバックを併設して平坦な場所を確保しました。
大畑駅の歴史を物語る遺構として、給水塔跡や洗顔場を見ることができます。
駅舎のすぐ横にある石造りの給水塔跡(写真上)。沢から水を引き、一旦この給水塔に溜め、それから蒸気機関車のタンクに注いでいたのでしょう。
機関士が、手や顔についた煤などを落とすためにホーム内に設置された洗顔場(写真上)。湧き水を利用した洗顔場で、朝顔の花の形をしていることから、朝顔鉢、朝顔水などと呼ばれました。

  スイッチバックとループ線
ホームから見る大畑駅の線路。人吉駅とつながっている線路、列車がバックして進行するスイッチバック線、一周して矢岳駅につながっているループ線などが見えます。 
人吉駅から来た観光列車『いさぶろう』『しんぺい』(下りだから、いさぶろう号)がホームに入ってきました。この列車の先頭(運転席の斜め後ろ)より以下の写真を撮りました。
上の絵図の@ABC、およびDの位置で、『いさぶろう号』の中から撮影した車窓の風景を以下に示します。
人吉から来た列車は、ホームを出発し、スイッチバック線をバックで走行していきます(写真@)。左手に、矢岳駅に向うループ線が見えてきました(写真A)。
そして、ループ線に乗るところまで列車は十分バックしてきました。ポイントを切り替えて前進すればループ線に乗ることができます(写真B)。列車はループ線に入り矢岳駅へ向って前進し始めました(写真C)。
やがてループを丁度一周したところにきて、眼下にループ線とスイッチバック線の切り替えポイントが見えます。向こうに、大畑駅も望めます(写真D)。

  慰霊碑
明治初期、肥薩線の人吉〜吉松間は天下の難所でした。国家の威信をかけて鉄道技術の粋を集めた工事が行われました。肥薩線工事で犠牲になった殉職者の慰霊碑が大畑駅敷地内に建てられています(写真上)。

【編集後記】
2008年のGW、肥薩線は大人気だった。5月4日の南九州は、最高気温が26、7℃という、夏を思わせる日。11時40分発人吉駅行きの観光列車『いさぶろう』『しんぺい』に乗るべく、吉松駅(鹿児島県)に滑り込むと、駐車場は満杯である。それも関西、関東ナンバーの車が多い。観光列車は通常、古代うるし色のクラシック風な車両が二両連結で全席指定であるが、GW中なのでもう一両普通車両(キハ31)を連結して三両仕立てであった。普通車両は自由席だったので運良く乗れたが、満員だからもちろん立ち席である。韓国語の会話も聞かれる。列車は、真幸駅(宮崎県えびの市)からさらに矢岳駅(熊本県人吉市)へ登り詰め、大畑駅へ下りていく。見所のある要所要所で減速したり、停車してくれる。各駅では、数分から10分間停車のサービスだ。小生は大畑駅で下車して、小一時間を過ごし、下りの列車で吉松駅に戻った。さて、大畑駅は桜が綺麗な駅として知られている。満開の時期になると連日カメラマンで賑わうらしい。確かに桜の咲いている風景は絵になるが、桜が主役になりはしないか。撮る人の気が桜に吸い取られはしないか。対象物を狙って撮るときは、桜と紅葉の時期は避けようと思っている。その点、緑はどうだろう。対象物は緑に映え、緑は対象物によって鮮やかさを増す。・・・という具合で、GWの一日、肥薩線で新緑を満喫した。そこで、一句詠んでみた。”君が居て薫風のなほ甘きこと”と。ネット俳句講座の選者のK先生にコメントを頂けるとすれば、きっとこうだろう。”深読みは無用。日常の中にも、想像力の伴う豊かな詩情は宿ります。” なにせ、詠み人は、来年還暦を迎えようとするおじさんである故。もちろん、この日のお出かけは一人小旅行だった。矢岳駅や真幸駅の風景は、追っての機会にレポートします。


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