♪ノクターン嬰ハ短調(ショパン)
Classic MIDI album
沖縄の風景 − 沖縄県
                        (
近隣アジアの諸国の影響を受けながら亜熱帯気候風土の下で育まれてきた琉球文化と豊かな自然。個性的なトロピカルリゾード・沖縄を訪れたのは11月の下旬というのに最高気温が27℃で、ちょうど半袖が心地良い気候でした。首里城跡、中城城跡、美ら海水族館、万座毛、ビオスの丘、そして旧海軍司令部壕など、沖縄のいくつかの風景をアップしました。                                                  (旅した日 2006年11月)

首里城跡 〔世界遺産〕
首里城は、第一尚氏王朝(1406〜1469年)、第二尚氏王朝(1469〜1879年)を通じて、
歴代琉球王国の琉球支配の拠点となった城です。た。
今次大戦ですべて破壊されましたが、1992年に復帰20周年記念事業として復元されました。
そして、2000年12月2日、中城城跡などと共に『琉球王国のグスク(城)および関連遺産群』
全九ヶ所が世界遺産に登録されました。
沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館
『美ら海水族館』は、1975年(昭和50)年に開催された沖縄海洋博展覧会の
跡地にある国営沖縄記念公園内に2002年(平成14年)にオープンした
世界最大級の水族館です。
世界最大級を誇る巨大水槽『黒潮の海』(幅35m、奥行き27m、深さ10m、容量7500トン)の中を
魚類最大の
ジンベエザメとオニイトマキエイ(マンタ)が悠然と泳いでいます。



万座毛(まんざもう)
万座毛は、国頭郡恩納村にある東シナ海に面した景勝地で、
象の顔をした琉球石灰岩の断崖絶壁の岩や天然芝の広場が特徴です。
その名は、18世紀の琉球王朝時代、時の王・尚敬王が、
『万人を座するに足る毛(原っぱ)』と賞賛したことに由来していると言われています。
万座毛から眺める絶好のロケーションとシチュエーションの万座ビーチ。
中城(なかぐすく)城跡 〔世界遺産〕
15世紀初期に築城されたといわれる城。1850年に来琉したペリー艦隊は、
その美しさに感嘆し
、『ペリー遠征記』にそのことが記されているそうです。写真上は三の郭。
三の郭や北の郭(写真)などは、石積み技法の最も進んだ
『あいかた積み(亀甲乱れ積み)』によって築かれています。石積みの緻密さが分かります。

この石積み技法は、『布積み』(豆腐積み)。コーナーの丸みも美しいです。

ビオスの丘
自生の蘭や四季折々の花木を自然のままの姿を、湖水観賞船で鑑賞できる自然公園です。



旧海軍司令部壕
この紺碧の空の下の地下には、熾烈を極めた沖縄戦で日本海軍沖縄方面根拠地隊の司令官大田実少将ほか
約4000名の将兵が壮烈な最後を遂げていった司令部壕が横たわっています。
迷路のような壕内には、司令官室、作戦室、発電室などが当時のまま残され、
将兵が鍬やツルハシで
壕を掘った跡や、幕僚が手榴弾で自決したときの破片の跡などがそのまま残っています。
戦争の悲惨さを感じ、世界恒久平和を祈らずにはいられません。
海軍壕公園から望む逆光の中の東シナ海。写真の左端の位置からさらに10数kmの
南東(左側)には、島民たちが沖縄戦で米軍に追いつめられ、
断崖に身を投げて自決していった喜屋武岬があります。
チニブとシーサー

チニブは、ヤンバルダキ(琉球竹)を斜めに交差させ、ひし形に編み込んだもの。
板状にして屋敷まわりの垣や民家の壁などに用いられていました。上の写真は琉球村で撮影。

ユーモラスなしっくいシーサー(八洲工房)。男シーサー(右)は口を開けて邪悪を
追っ払い、幸運を飲み込みます。女シーサー(左)はその幸運が逃げないように口を閉じて守ります。
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