♪秋の歌(チャイコフスキー)
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西郷南洲翁宿所 〜 南洲翁保養の地(1)−鹿児島県南大隅町
明治6年(1873年)11月、下野して鹿児島に帰った西郷南洲翁(西郷隆盛)は、私学校を建てて後進を指導しつつ、ときどき県内各地の野山に出かけて兎(うさぎ)狩りをしては温泉などで保養しながら余生を送ろうとしていましたが、下野して3年余りの後の明治10年1月29日、鹿児島城下の私学校生が城下の弾薬庫を襲撃します。それが、西南の役の火ぶたとなりました。西郷さんが愛好したという、鹿児島県内の保養の地の幾ヶ所かを訪ねてみました。まず訪ねたのは、狩猟時の定宿で、最後の保養地となった南大隅町根占の宿所跡です。 (旅した日 2011年06月)
       
       
最後の保養地
『西郷南洲翁宿所』(西南戦争直前まで滞在した宿所・最後の狩猟地・消閑の地とあります。) 
明治10年(1877年) 1月29日、根占(ねじめ)のこの木賃宿を定宿にして狩りに出ていた西郷は、鹿児島城下の私学校生が城下の弾薬庫を襲撃したという知らせを受けます。『ちょしもた!』(しまった!)と一瞬怖い顔で深いため息をつき、鹿児島に向かったと言われます。西南の役が勃発し、ここが南洲翁最後の保養の地となりました。
西郷南洲翁が定宿としてくつろいだ当時のまま残されている主屋(おもや) 
南洲翁がたびたび根占を訪れていたのは、遊猟だけが目的ではなく、刺客から逃れるためだったともいわれています。そうした中でも地元の子供たちと遊び、裸で昼寝をしたりしていました。雨の日など狩猟に行けない日は、詩を詠み、書を書いて過ごしました。頼まれれば誰にでも快く引き受けて書を書き与えていたそうです。
大正5年に建てられた『南洲翁宿泊の碑』
 
南洲翁宿泊の碑
明治七年以降西郷南州翁好んで大隅の國肝属郡小根占地方に遊ひ候。川北なる平瀬十助の家に宿す。其の家今尚翁が浴せし石槽を存せり。翁の来るや忠僕及ひ愛犬を携え海山の間に逍遥し漁猟に従事し或は詩を賦(ふ)し毫(ごう)を揮(ふる)ひ以て楽しみとなす。十年一月復来たり居ること数日風雲の急を告くるや翁喟然大息して去る。嗚呼此れ実に最後消閑の地たり。
   大正五年四月  磯長 得三 識。
西郷南洲翁が使った手水鉢(ちょうずばち)
西郷南洲翁が入浴に使った石槽(意外に小さい感じがします)。
南洲翁宿所跡がある南大隅町は、大隅半島の最南にあり、本土最南端の町です。西は美しい大海原の錦江湾に接し、対岸はちょうど薩摩半島の指宿になります。北に桜島と高隅山を、西に開聞岳を望む風光明媚で雄大な自然は西郷南洲翁の気魄精神にそぐっていたことでしょう。そして、背後には兎狩猟に持ってこいの山野が控えていました。
南洲翁宿所跡は、南大隅役場から徒歩で10分程の海岸沿いにあります。
 
【参考にしたサイト】
(1) 西郷どん、最後の保養地: 鴨着く島
(2) 西郷南州翁の書|歴史上の人物|南大隅の情報発信ポータルサイト
           
    
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