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旅行記 ナポリ − イタリア(18) 2014.07
ナポリ
ナポリ中央駅 (Stazione di Napoli Centrale)
ユーロスター・イタリア (Treni Eurostar Italia) ユーロスター・イタリア は、イタリアに存在する高速新線(TAV)を最高速度250〜300 km/hで走行する列車・車両の総称で、かつてはイタリア国鉄 (Ferrovie dello Stato)、現在は民営会社であるトレニタリア(Trenitalia)が運行している。
ナポリ中央駅に到着したユーロスター
トリノ・ミラノおよびヴェネツィア・パドヴァからボローニャ、フィレンツェ、ローマを経てナポリに至るイタリアの回廊区間を走行する列車にはユーロスター・イタリア アルタ・ヴェロチタ(トーマス・クック時刻表では「AV」と表記される)の名前が与えられています。アルタ・ヴェロチタの中には、ミラノ・ローマ間をノンストップで結ぶ列車も日に数往復運行されています。
ユーロスター (AV、Frecciarossa)
車両には、Frecciarossa(『赤い矢』という意味)とFrecciargento(『銀の矢』という意味)の2つカテゴリーがあり、より高速な列車をFrecciarossaに、それ以外をFrecciargentoとしています。途中停車ありでミラノ中央駅とナポリ中央駅を結ぶ幹線系統も1時間に1本運行され、この列車は途中ボローニャ、フィレンツェ、ローマ・ティブルティーナ駅に停車します。
ヌオーヴォ城(新城砦)
ヌォーヴォ城(Castel Nuovo) 海際にある卵城と区別するため新しい(Nuovo)城と命名された城砦です。13世紀に当時ナポリを支配していたフランス系王朝アンジュ家が、フランスのアンジェ城をモデルに建築したといわれます。アンジュ家支配末期に度重なる戦闘の舞台となり大きく破損しましたが、15世紀から18世紀にかけて改築されました。現在は、市立博物館になっています。
トリエステ・エ・トレント広場の噴水(左がナポリ王宮)
世界遺産『ナポリ歴史地区』 ナポリの旧市街地は『ナポリ歴史地区』(英語名:Historic Centre of Naples)として、ユネスコの世界遺産に登録されています。1995年に登録、主な建築物として、王宮、卵城、ヌオヴォ城、サンテルモ城、カテドラル(大聖堂)、国立図書館(王宮内にある図書館)、サンタ・キアラ修道院(ナポリの中世の痕跡が残る貴重な場所)があります。
ナポリ王宮(Palazzo Reale di Napoli)
ナポリ王宮(Palazzo Reale di Napoli) かつてナポリ王位や両シチリア王位についていたブルボン家の王宮。今日見られるのは17世紀に建築された宮殿ですがが、多くの追加や変化がありました。現在の王宮と隣接した館は、サン・カルロ劇場、美術館、ナポリ国立図書館、ナポリ地方観光局を含む官公庁の庁舎として使用されています。
サン・カルロ劇場(Teatro di San Carlo)
サン・カルロ劇場(Teatro di San Carlo)  イタリア三大歌劇場の一つで、劇場としてはヨーロッパで現役最古のものである。資金不足のため、1874年〜1875年のシーズンが中止された以外、定期公演が中止されたことがない点でも特筆される。ナポリに劇場があることを望んだブルボン朝ナポリ王国の初代王カルロによって建造された。開場は1737年11月4日。
ウンベルト1世のガッレリア(工事中のようです)
ウンベルト1世のガッレリア 建物の内部が十字となっているアーケードで、1887年から1890年にかけてスラム街跡地に建てられたました。ミラノの『ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア』を模したものだそうですが、それより少し規模は小さい。アーケード内部のガラス張りの天井は高さ58mにもなり、床の大理石もモザイク画となっており、豪華で美しい。
ナポリの街並み
ナポリ(Napoli)(1)(2) ナポリは、その周辺地域を含む人口約96万人の基礎自治体(コムーネ)。カンパニア州の州都であり、ナポリ県の県都です。ローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市で、南イタリア最大の都市。都市圏人口は約300万人。ナポリ湾に面した港湾都市。風光明媚な景観から『ナポリを見てから死ね』と言われ、温暖な気候から観光都市としても知られています。
ナポリの街並み
ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼります。当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリス(Neapolis)と呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと考えられています。紀元前4世紀頃に古代ローマの支配下に入ります。
ナポリの街並み
62年と79年に地震が起こり、深刻なダメージをナポリにあたえましたが、復興をとげました。11世紀にノルマン人のオートヴィル家が侵入してナポリを支配し、その後ホーエンシュタウフェン家の支配に入りました。13世紀に入ってアンジュー家がこの地でナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎えます。
パルテノペ通り(サンタ・ルチア港)より望む風景
16世紀前半にアンジュー家が衰えると、ナポリはスペインの支配下に入りました。18世紀以降はブルボン家による支配を受けましたが、1860年にイタリア王国へ併合、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退しました。イタリア料理を代表するピッツァ(ピザ)の起源はアラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ナポリでピッツァと呼ぶようになったことと言われています。
巨人の噴水(Fontana del Gigante)
サンタ・ルチア サンタ・ルチア港は、イタリア民謡『サンタ・ルチア』(英:Santa Lucia)で知られる、ナポリの観光名所の一つ。サンタルチア港に突き出た小島に建つ卵城(カステロデローヴォ)からは、サンタルチア港やナポリ湾岸にある火山ヴェスヴィオ山を見渡すことができます。『サンタ・ルチア』は、伝統的なナポリ民謡(カンツォーネ・ナポリターナ)の曲です。
サンタ・ルチア港の景色(前方はヴェスヴィオ火山)
テオドロ・コットラウ(1827年〜1879年)が編曲し、1849年ナポリのバルカロール(舟歌)として出版しました。ナポリの歌にイタリア語の歌詞が付けられた初めての作品となりました。「サンタ・ルチア」のナポリ語の歌詞は、ナポリ湾に面した絵のように美しい波止場地区、ボルゴ・サンタ・ルチアを讃え、船頭が自分の船に乗って夕涼みするよう誘いかけています。
サンタ・ルチア港(ボルゴ・マリーナ)
鹿児島と姉妹都市提携 ヴェスヴィオ山を望む風景は、鹿児島市の錦江湾(鹿児島湾)を彷彿とさせます。ともに火山と縁の深い海沿いの都市であり、鹿児島が『東洋のナポリ』と呼ばれていたことが縁となり、1960年5月3日に提携。ナポリ市内には『鹿児島通り』(via Kagoshima)があり、鹿児島市内には6車線の大通りである『ナポリ通り』があります。
サンタ・ルチア港に突き出た卵城
卵城 (カステル・デローヴォ)  卵城は、サンタルチア港の小島に突出して作られた要塞で、ナポリ一番の観光名所といわれます。もともとは、ローマ帝国にルクルスが建築した豪華な別荘でした。11世紀にノルマン人のオートヴィル家がナポリを支配すると、要塞として機能を拡大しました。
卵城 (カステル・デローヴォ)
ノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、『卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう』と呪文をかけたことが城の名前の由来と言われている。アンジュー家統治時代には税を納めるための倉庫に使われました。ユネスコ世界遺産『ナポリ歴史地区』の構成要素になっています。
卵城への歩道(左手がボルゴ・マリーナ)
卵城に行くには、長さ 100mほどの浅瀬を埋め立ててつくられた歩道(写真上)を歩きます。その歩道の左手にあるのは、ボルゴ・マリナー(漁師村)と呼ばれるレストラン街。もともとここは古い漁村だったのです。前方にサンタ・ルチア港とヴェスヴィオ火山を望む絶好の撮影ポイントになっています。
卵城よりパルテノペ通りを見る(右手がボルゴ・マリーナ)
高級ホテル街 ヴェズヴィオ山を望む風光明媚な風景、ひたすら明るい太陽が降りそそぐ印象。サンタ・ルチアの海岸通りは、ナポリの代表的なホテルが建ち並ぶ高級ホテル街となっていて、ここでは感じるナポリは、まさにリゾートです。ここいると、街の至る所にゴミの山があり、泥棒やひったくりの横行する街とはとても思えません。
宿泊したロイヤルコンチネンタルホテルナポリ
世界三大夜景 世界中の代表的な夜景を3ヶ所選んだものを世界三大夜景といいますが、函館、ナポリ、香港の夜景を世界三大夜景と称する一方で、長崎・香港・モナコを世界新三大夜景と認定している民間団体もあるようです。まだ完全な夜景にはなっていませんが、下の写真は『ポジリポの丘』から眺める暮色のナポリ湾とヴェズヴィオ山です。
暮色のナポリ湾とヴェスヴィオ火山
【参考サイト】
(1)ナポリ歴史地区 - Wikipedia

(2)ナポリ - Wikipedia
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