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旅行記 ・うだつの上る町並み− 岐阜県美濃市 2015.09
うだつの上る町並み
(伝統的建造物群保存地区)
一番町通り(左手前は旧今井家住宅)
美濃市は、飛騨高山を開いた金森長近が慶長年間(1596〜1614年)に城下町を建設したことに始まり、江戸時代を通じて和紙を基幹とした経済活動で繁栄しました。その町並みは、目の字に区分された通りの両側に、うだつ(卯建、宇建)を上げた町家が建ち並んでいて、1999年(平成11年)に『国の重要伝統的建造物群保存地区』に選定されました。
うだつの上がる町並み(一番町通り)
うだつ(卯建・宇建)は、屋根の両端にある防火壁のことで、江戸時代、類焼を防ぐ工夫として、切妻平入りの町屋の両端の妻を一段高くした『うだつ』が設けられました。しかしこの『うだつ』は、一丁前の店を構えなければ上げられません。そこで、ぱっとしないことの例えに言う『うだつがあがらない』という言葉の語源になったと言われています。
大石華表堂(明治22年の創業以来の表装店)
最も古いうだつ軒飾りの形式を持つのが『旧今井家住宅』です。江戸中期の市内最大規模の商家で、庄屋兼和紙問屋でした。建物は、江戸時代中期に建てられ、明治初期に増築されたと言われます。復元された水琴窟があり、奥には美濃市の古い歴史、文化、造形物に関する史料を展示した美濃史料館やうだつ蔵、にわか蔵があります。
和紙の店『紙遊』(二番町通り)
 うだつを競う
うだつが隣り合う古川家(手前)と平田家
うだつの上がる町並みの二番町通りに隣り合って軒を連ねるのが古川家住宅(中央手前)と平田家住宅(中央奥)。平田家は明治から大正初期まで炭と米を商っていた商家でした。その隣の古川家宅は平田家よりやや遅れて建てられた明治初期の建築で、平野屋という呉服屋でした。
 ともに立派な平田家と古川家のうだつ
本来うだつは屋根に上げられた防火壁ですが、豪商たちは、富と粋の象徴としてその意匠をも競い合うようになりました。面白いのは、2つのうだつが隣り合っている平田家と古川家のうだつ。古川家(写真下右手)のうだつは平田家(左手)のそれより後に作られましたが、平田家に気を使って後ろにへこめて上げられたものの、こっそり高く作ってあります。
こっそり高く作ってある古川家(右手)のうだつ
 
目の字通り
いったん曲がって次の角をまた曲がります。
うだつの上がる町並みは、一番町通りと二番町通りの東西方向の2筋の街路と、南北方向の4筋の横町からなる町並みで、通称『目の字通り』と呼ばれています。目の字通りは、街路を『目の字』に通すことにとって、通行し易い十字路をなくし、敵が侵入した際の勢いを削ぐ目的があったそうです。
目の字通り
したがって、『目の字通り』の街並みで十字路になっているのは、美濃市観光協会の観光案内所(番屋)のある交差点(写真下)一個所のみです。この交差点は上有知湊(こうずちみなと)で積み下ろしされる荷を運ぶ道路と一番通りとの交差点であり、商業の中心となる場所であり、十字路の方が交通の便が良かったわけです。
ただ一個所ある十字路
 
こうずちみなと
上有知湊
住吉灯台(川湊灯台
長良川沿いにある『上有知湊』(こうずちみなと)は、金森長近(かなもりながちか)によって1606年頃、物資運送の玄関口として築かれた川湊でした。当時は番船40艘をおき、長良川下流への美濃和紙、荏胡麻、生糸、酒などの輸送基地として、また上流から運ばれる木材運搬の中継基地として、江戸時代から明治時代末年まで繁昌しました。
舟着場への石段
1911年(明治44年)に電車が開通すると、水運交通の要所としての役目を終え、上有知町も美濃町と改名されました。舟着場への石段、舟運の安全を祈るために奉祀された住吉神社、住吉神社の献灯を兼ねて江戸時代末期に建設された高さ約9mの住吉灯台(川湊灯台)、文化年中、郡上連中が奉献した石灯籠などが往時の姿をとどめています。
清流長良川のアユ釣り
美濃橋(写真下)は、長良川にかかる人・自転車専用の吊り橋で、1915年(大正4年)起工、翌年完成。現存する最古の近代吊橋であり、2001年(平成13年)に土木学会選奨土木遺産を受賞し、2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定されました。この橋からの飛び込みによる事故が相次いだため、飛び込み防止のネットが設置されています。
現存する最古の近代吊橋『美濃橋』
美濃和紙あかりアート館
昨年(2014年)の小中学生部門大賞『安土城』
『美濃和紙あかりアート館』は、美濃市にあるか『美濃和紙』と『あかり』をテーマにした美術館。美濃町では、毎年10月に『美濃和紙あかりアート展』が開催されています。美濃和紙を使用したあかりのオブジェを一般・小中学生の両部門で全国公募し「うだつの上がる町並み」に2日間にわたり屋外展示し審査を行うもので、今年は22回目。
『美濃和紙あかりアート展』の作品が展示されています。
『美濃和紙あかりアート館』の建物は1941年頃(昭和16年頃)に美濃町産業会館として建築されたもので、2005年(平成17年)に国の登録有形文化財に登録されています。館内には、『美濃和紙あかりアート展』を館内に再現してあり、過去の優れた作品が展示されています。また、1階は売店で和紙を使った「あかり」を販売しています。
『美濃和紙あかりアート展』のパネル写真
美濃にわか
大八車を引く美濃の流しにわか
『にわか』は、宴席や路上などで行われた即興の喜劇芝居で、仁輪加、仁和歌、二和加などとも書きます。2〜3人の役者が登場して、ユーモアたっぷりに物語を展開し、最後に、同音異義(同じ発音でも意味の違う言葉)の掛合わせ『「落ち』をつけます。現在、全国で継承されている地域は、博多、大阪、熊本など約20ヶ所ほど確認されています。
松を立て赤丸提灯、そしてにわか囃子
美濃にわかは、特に『流しにわか』と呼ばれ、台八車かリヤカーの中央に2メートルほどの松を立て、10数個の赤丸提灯に灯を点して、大太鼓、小太鼓、篠笛、鼓、三味線、摺り鉦などの和楽器を演奏しながら町の辻つじで演じられていました。現在は、保存会によって美濃まつりの日に演じられています。写真はいずれも旧今井家住宅の『にわか蔵』で。
美濃にわかの法被(はっぴ)
旧名鉄美濃駅
旧名鉄美濃町駅駅舎
長良川鉄道美濃市駅から古い街並みに向かう途中、美濃市駅から約200mのところにある旧名鉄美濃駅。1999年(平成11年)に末端区間が廃止になった名古屋鉄道美濃町線の終着駅を記念館として保存しているもの。当時の駅舎・プラットホーム・線路がそのまま保存されていて、長良川にかかる美濃橋とともに大正期の貴重な近代遺産となっています。
現役時代末期(1998年8月)の美濃駅構内 
 
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