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ミラノ |
アルマーニのメガショップ(右手前)などのあるメインストリート |
ミラノ(Milano) イタリアの第二の都市であるミラノは、イタリア北部ロンバルディア州の州都で、人口は約130万人。近郊を含む都市圏人口は 526万人であり、イタリア最大の都市圏を形成しています。日本の稚内市とほぼ同緯度に位置しますが、最寒月の平均気温がおよそ5℃程度と、比較的温暖なところです。ミラノの位置を確認する |
シックで落ち着いた雰囲気のある通り |
古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄で、1978年から始まった『ミラノ・コレクション』はパリ、ニューヨークと並ぶ世界3大ファッションショーとして知られています。新鋭クリエータ、音楽や絵画などのアーティストに留まらず、ファッションやデザインを学ぶ若い学生が世界中から集まる、ファッション、インテリア、デザインの発信地といわれています。 |
どこも石畳の道路に路面電車が往来します。 |
そして、近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しておりイタリア最大級の経済地域を形成しています。来年(2015年)には、『地球に食料を、生命にエネルギーを』(Feeding the Planet, Energy for Life)をテーマに、ミラノ国際博覧会(ミラノ万博)が開催されます。 |
イタリア一高い建築物(ウニクレディトタワー)が見えます。 |
ミラノは、ヨーロッパの歴史の中で何度も占領や統治を繰り返し経験し、中世後期とルネサンス時代にヴィスコンティ家とスフォルツァ家という2大貴族によって統治されました。有名な観光スポットである『スフォルツェスコ城』で当時の面影を垣間見ることができます。そして、ゴシック建築の最高傑作『ドゥオーモ』やレオナルド・ダ・ヴィンチの名画『最後の晩餐』など、何百年もの歴史に培われてきた建築物や芸術作品群に接することのできる都市です。 |
ミラノの路地に入った風景 |
BikeMi(バイクミー) |
市内に90ヶ所あるというバイクステーション |
BikeMi(バイクミー) ミラノ市内のあちこちで、黄色い自転車が置かれているバイクステーションを見かけました。ミラノ市と市営交通局が運営するBikeMi(バイクミー)というバイクシェアリングで、今やミラノの顔の一つになっています。市内90ヶ所にバイクステーションがあり、合計1,200台の自転車が用意されています。登録して利用券を入手すれば30分までは無料、その後は30分ごとに0.50ユーロ(日本円で約70円)とお得な料金体系。自転車はダイエット効果もあります。エコ活動をしながら一挙両得。 |
i自転車はエコ活動とダイエットの一挙両得。 |
トラム(路面電車) |
石畳の路面を走る『ベントット』 |
トラム(路面電車) 至るところを路面電車が走っています。ミラノの市電の総延長は実に160kmに及び、スカラ座、ドゥオーモ、中央駅など、有名な場所でも市電の走る風景がしっかりと見られます。2両あるいは3両の連結車や新型車も走っていますが、なんといっても目を引くのは、『ベントット』とよばれる1928年から造られたという電車です。ベントットは、イタリア語の28のことで、製造初年が1928年であることからそう呼ばれています。古典的な雰囲気を漂わせながら走る路面電車の風景は、ミラノの世界的に有名なものの一つになっています。 |
スカラ座前の電停に近づく『ベントット』 |
スカラ座 |
スカラ座を正面から見る |
スカラ座(Teatro alla Scala) イタリアオペラ界の最高峰とされる歌劇場。現在の建物は2代目のもので、初代のものは1776年に焼失しました。新劇場は、以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられました。当時ミラノを支配していたオーストリアの女帝マリア・テレジアに起用されたジュゼッペ・ピエルマリーニの設計により、2年を費やして1778年に完成しました。 |
『Teatro alla Scala』とあります。 |
第二次世界大戦中の1943年に連合国軍機の爆撃で大きく破壊されましたがその後修復。ヨーロッパ戦線における戦闘が終結した1年後の1946年5月にはトスカニーニの指揮による演奏会が行われました。ミラノには世界中から多くのダンサーやオペラ歌手が『スカラ座』の舞台に立つのを夢見てやってきますが、舞台に立てるのはごく限られたアーティストだけです。 |
スカラ座の外観はいたってシンプルです。 |
スカラ広場 |
レオナルド・ダ・ヴィンチ像 |
スカラ広場 路面電車の走る石畳の道路をはさんで向かい側にはあるのが『スカラ広場』。広場中央には、レオナルド・ダ・ヴィンチの像があります。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)は、1482年から1499年までミラノで活動し、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁画『最後の晩餐』(1495〜1498年)を描きました。スカラ広場を挟んでスカラ座と向かい合っている後方の建物が『マリーノ宮』(写真下)です。ジェノバの銀行家トンマーゾ・マリーノによって建てられ、現在はミラノの市庁舎になっています。 |
スカラ座と向かい合って建つ『マリーノ宮』 |
ガッレリア ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア |
ガッレリア中央部(向こうにスカラ広場への北出口が見えます) | |
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PRADA本店 | |
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上品な各種店舗が入居しています。 |
ミラノを本部とする『ジョルジオ・アルマーニ』 |
最初の落成から130年以上を経た現在、4階建てのアーケードにはオートクチュール店から書店に至るまでの上品な各種店舗、プラダやルイ ヴィトンのほかシャネル、イヴ・サンローラン、グッチなどファッション界のそうそうたる高級ブランド店、そしてレストラン、カフェ、バーが入居しています。 |
こちらはシックな雰囲気の漂う風景です。 |
ドゥオーモ |
ガッレリアの南出口から見るドゥオーモ |
ドゥオーモ(Dumo) ドゥオーモは、イタリア語でイタリアの街を代表する教会堂のこと。ローマ以外では『大聖堂』とほぼ同じ意味を持ちます。カトリック教会の各教区の中心となる教会『司教座聖堂』を意味するカッテドラーレ(Cattedrale)と呼ぶ地方もあります。ミラノのドゥオーモは500万人のカトリック信者がいる世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する首都大司教の司教座聖堂です。 |
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左手に巨大なパイプオルガンがあります。 |
ドゥオーモ広場 |
ドゥオーモ広場に面するガッレリアの南口 |
ドゥオーモ広場 ドゥオーモ前に広がる広い広場は、市民、観光客のほか、風船などを売る商売人などでごった返しています。広場中央に建つのは、統一イタリア初代国王・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像(写真下)です。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(写真上)、今は美術館となった王宮のほか、多くの店舗などが面しています。 |
統一イタリア初代国王・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世騎馬像 |
ミラノ風カツレツ |
昼食を頂いたDA CECCO(ダ チェコ)というお店。 |
ミラノ風カツレツ ミラノ風カツレツは、子牛肉を使ったミラノの名物料理。子牛肉をたたいてのばし、溶き卵、パン粉をつけ、多めのバターで両面をきつね色に焼き上げたものです。最初は、薄いなと文句を言いたくなり、ソースを持ってきて欲しいとお願いしたくなりましたが、ソースは使いません。薄いのは、揚げるのではなく炒めるからでした。オイルはカツレツの片面を焼くギリギリの量にとどめて料理されます。ソース(ましてやトマトケチャップソース)は一切使わず、好みでレモンをしぼって食べます。それは、パン粉の香ばしさとバターの香り、肉の旨味を楽しむためでした。表面にパリパリ感のある香ばしい食感で、美味しかったです。 |
メニューは、ミラノ名物『ミラノ風カツレツ』でした。 |
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