♪エリーゼのために
Reinmusik

         
        
旅行記 ・旧遷喬尋常小学校 − 岡山県真庭市  2011.05
    きゅうせんきょうじんじょうしょうがっこう   .
旧遷喬尋常小学校
旧遷喬尋常小学校校舎
明治40年(1907年)に、当時の町の予算の3倍に近い巨額な費用を投じて建てられ、平成2年(1990年)の夏に移転するまで現役の小学校(現真庭市立遷喬小学校)の校舎として使われてきた尋常小学校校舎、84歳にして小学校の役目を終えた今もどっしりとした威容を誇り、地元民の心をとらえ続けている、そんな旧小学校校舎が岡山県真庭市(旧真庭郡久世町)にあります。旧遷喬(せんきょう)尋常小学校校舎です。日本の学校建築の設計基準が確立した明治後期における独特な擬洋風校舎として国の重要文化財に指定され、『火垂るの墓』、『ALWAYS 三丁目の夕日』およびその続編、『犬神家の一族〜誰も知らない金田一耕助〜』など、多くの映画やドラマの撮影が行われた旧小学校校舎です。
 外観はルネッサンス様式の擬洋風建築
木の濃緑が壁板に映えます。
校名は、『明親館』とつながりをもつ山田方谷が、中国の古典・詩経にあるつぎの一節
  
        『出自幽谷遷于蕎木』
  (ゆうこくよりいでてきょうぼくにのぼる(うつる))
 
から2文字を取って『遷喬』(せんきょう)と名づけました。ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、学問に励み出身立世することと解釈されています。
  前身と校名
明治3年(1870年)に旧久世町内の有志が発起して『明親館』という塾が作られました。命名は備中聖人の山田方谷で、自ら明親館の額を書き、塾の先生には方谷の門人があたり、生徒数は46人だったそうです。
  
明治7年(1874年)、栄町の中国銀行久世支店の付近にあった久世代官所御蔵(年貢米倉庫)を校舎として開校しました。
高瀬舟をかたどった校章も印象的
玄間を入った正面にある振り子時計と鐘
幅広くゆったりした半らせんのまわり階段。 
幅広の厚い松材を使用した廊下
外観と校章
校舎は完全なシンメトリー(左右対称)のデザインです。中央部は倍の厚みがあり、玄関左右を少し張り出して破風(屋根の先端についている山形の装飾板)で飾っています。軒下の壁は筋交いを組んで化粧し、窓間の板壁は水平に下見板が張られ、窓下は垂直の縦羽目板になっています。
  
校章は、帆を張った高瀬舟で『久世』をデザインしたものです。市内を流れる旭川では、浅瀬を自由に航行できる高瀬舟という川舟の往来が古くから発達し、中国山地と吉備高原の人々の生活と瀬戸内海を結びつけていました。
 
文化財として
全国版の建築専門誌に『迎賓館を思わせる豪奢な洋風建築』『木造ルネッサンス風小学校』と紹介されているそうです。ルネッサンス様式による明治の擬洋風建築と呼ぶことができ、長島茂雄氏の『夢の学校CM』、伊丹十三監督作品の映画『大病人』の一場面などに登場し注目を浴びました。久世町文化財指定に指定され、平成11年(1999年)、校舎全体が国の重要文化財の指定を受けました。最近では、『火垂るの墓』、『ALWAYS 三丁目の夕日』およびその続編、『犬神家の一族〜誰も知らない金田一耕助〜』など、多くの映画やドラマの撮影が行われています。
訪れる人々を圧倒する講堂の風格。二重折り上げの洋風格天井、鏡板はすべて無節の檜柾目板。
 
  昭和の教室
『ALWAYS 三丁目の夕日』の撮影に使われた教室。2人で座る机!
        講堂と教室棟
  
二階中央の講堂の風格は訪れる人を圧倒します。二重折り上げの洋風格(ごう)天井となっており、鏡板はすべて無節の檜柾目板です。透明ガラスは、角度によって景色が変わるものがあり、短い期間しか造られなかった貴重な手造りです。教室棟の廊下は幅広く分厚い松材を使用しています。戸の板壁は、全面無節の杉材で、そのため幅は一定ではありません。まさに工匠たちの情熱と技術の結晶といえる作品です。校舎端のまわり階段は幅広くゆったりとしており、上下には橋の欄干を思わす細かい細工が施されています。
   
         
建築
  
ニ年間の工事期間をおき、明治40年(1907年)7月20日に完成しました。工事費は17,984円56銭で、当時の町予算(経常経費)の2.93倍もの巨額な費用が投じられました。費用のうち11,500円は県からの貸し付けを受けています。設計は県の江川三郎八工手、建築材は真庭市木山国有林の優れた檜、杉材を選定し使用しています。

  
五年三組”みんなの目標”に古行淳之介、鈴木一平、山崎貴監督などのものがあります(写真右)。
 
昭和30年代(それは団塊の世代が小学校時代)を彷彿させる教室の風景です。
チラシに”夕日小学校34年度学校行事”とあります。
 
なつかしの学校給食
配膳するのは(財)久世エスパス振興財団のスタッフの皆さんです。
  平成23年4月2日(土)〜6月26日(日)の土、日、祝日に、なつかしの教室で当時の”学校給食を味わう”イベントが開催されています。訪問したとき、丁度配膳が始まるところだったので、承諾を得て撮影させてもらいました。
 
一食800円で、希望日の一週間前の18時までの申し込みだそうです。(完全予約制で、一日最大80名で受付を終了)。
 
本日の献立は、@コッペパンAさんまのかばやきBおひたしCだんご汁D牛乳でした。
   
        
利活用
  
市民の寄贈による一般文庫部屋とマンガだけを集めた部屋があり、毎日誰かがどこかに居るという具合です。日本一を誇る『広報くせ』の受賞トロフィーや県立水島工業高校が造った檜材の校舎模型を展示している部屋もあります。講堂は、クラシックコンサートや落語会場となり、昔の教員室は会議室と変身し、市民に開放しています。校庭は市民要望により、エスパスランド土広場として再整備され、屋外イベントの会場となっています。
 
当番から今日の献立の発表と、”頂きま〜す”の音頭です。
頂きま〜す。美味しそうですね! (承諾を得て撮影しました。ありがとうございました。) 
     【編集後記】− みたび山田方谷 −
備中聖人と呼ばれる”山田方谷”のことを初めて知ったのは、4年前の2007年6月、岡山県高梁(たかはし)市のベンガラの『吹屋ふるさと村』を訪ねる途中に備中松山城に立ち寄った時でした。旅行から帰って早速、矢吹邦彦著『炎の陽明学 −山田方谷伝− 』(明徳出版社)を読んで感動したのでした。二回目の所縁の地の出会いは、昨年2010年8月訪ねた『閑谷学校』(岡山県備前市)でした。
  
旧遷喬尋常小学校は、『勝山の町並み保存地区』を訪ねる途中立ち寄ったのですが、図らずも山田方谷所縁の地とのみたびの出会いとなりました。
昭和49年(1974年)、創立百周年記念に建立された校名由来碑    
【参考にしたサイト】
(1) 旧遷喬尋常小学校|久世エスパスランドホームページ
(2) ウィキペディア-旧遷喬尋常小学校校舎のページ
 
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