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京泊教会跡 (ロザリオの聖母聖堂) |
1602(慶長7)年に下甑村の長浜に上陸したフランシスコ・デ・モラーレス神父をはじめとするドミニコ会宣教師たちは、3年にわたり宣教活動を行った後、上甑島の里村に教会を建設しましたが、数日後台風のために倒壊。1606(慶長11)年、薩摩藩主・島津家久の許可を得て、甑島から京泊(きょうどまり)に移りました。 |
海を見下ろす丘の上にロザリオの聖母にささげられたロザリオの聖母聖堂を設立し、同時にハンセン氏病患者のための療養所を開設。ここを拠点に薩摩各地に布教活動を広げました。1608(慶長13)年7月22日、平佐奉行北郷加賀守作左衛門三久の家臣・税所七右衛門がこの教会で受洗。洗礼名はレオ。 |
同年11月17日、レオは再三にわたる奉行の説得にもかかわらず棄教を拒絶し、平佐の自宅付近の十字路で処刑され、薩摩における最初の殉教者となりました。レオの遺体は、役人たちによって葬られた二日後に、信者たちによってひそかに掘り出され、京泊に埋葬されました。しかし翌年、薩摩からの退去を命じられたドミニコ会の宣教師たちは、この教会を解体して、その材木とレオ七右衛門の遺体と共に長崎に移りました。 |
1609(慶長14)年、解体したロザリオの聖母聖堂の材木で、長崎にサント・ドミンゴ教会を建てました。レオの遺体は一時長崎の教会に納められていましたが、徳川家康の禁教令によってマニラに送られ、同地のサント・ドミンゴ教会に安置されました。その後、第二次世界大戦により行方不明に。京泊教会にあったロザリオの聖母像は今もマニラのサント・ドミンゴ教会に現存します。 |
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