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旅行記 ・草津温泉 − 群馬県吾妻郡草津町 2014.06
草津温泉
光泉寺から見た草津温泉のシンボル『湯畑』
草津温泉 草津節に『草津よいとこ 一度はおいで 〜♪ 』と唄われた草津温泉。群馬県吾妻郡草津町にあります。江戸時代初期の朱子学派儒学者・林羅山が日本三名泉の一つに数え(他の2か所は、兵庫県神戸市の有馬温泉、岐阜県下呂市の下呂温泉)、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた日本を代表する名泉の一つです。
草津温泉のシンボル『湯畑』
草津温泉の自然湧出量は日本一を誇り、毎分32,300リットル以上で1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しています。そのため、草津の旅館や温泉施設で『源泉かけ流し』が堪能できます。加えて泉質は日本有数の酸性度で、pH値が2.1(湯畑源泉)。雑菌などの殺菌作用が抜群で、草津温泉は古くからたくさんの人々の心と体を癒し続けてきました。
湯畑は温泉街の中心に位置しています。
湯畑(ゆばたけ) 温泉街の中心部に湧き出ている源泉が『湯畑』で、広さ約1600m2、湧出量は毎分4600リットル(ドラ ム缶25本分)。周囲がロータリー状に整備され、草津温泉のランドマークになっています。デザインは当時の町長のホテルに投宿した
岡本太郎が手がけそうです。
湧き出た湯が7本の木桶を流れます。
湧き出た高温(60℃)の湯は、7本の木樋を流れるうちに温度が下がり、町内の旅館やホテル、共同浴場に配湯されています。その際に副産物として樋に沈殿したのが『湯花(ゆのはな)』です。真湯に溶かすと草津温泉と同じ成分・効能を再現できると言われ、その収穫が出来ることから『湯畑(ゆのはた)』と命名されました。
木桶を流れるうちに温度は下がります。
湯花(ゆのはな) 安永8年(1779年)の頃、湯滝の湯溝に堆積する沈殿物(結晶状、淡黄色)を採集し湯の花として商品化をした三右衛門という人が屋号を湯の花屋として江戸の薬種商とあきないをしていたそうです。寛政4年(1792年)になると、採集権が村(町)にうつり冥加永(税金)を幕府に上納していました。
湯畑の滝壷
湯垣内の樋は明治20年(1887年)に作られて、本格的に湯の花の採集がおこなわれ最上級の入浴剤として広く草津温泉のお土産品として今でも全国で利用されています。明治40年(1907年)頃からこの場所は湯の花が採れるところ、湯の畑、湯畑と呼ばれるようになったそうです。
湯は旅館やホテル、共同浴場に配湯されます。
湯治場 草津温泉には古くから『万病に吉』として多くの湯治客が訪れてきました。温泉の保温効果に加えて、草津温泉の強酸性泉による殺菌作用、成分に含まれる硫酸アルミニウムによる収れん作用、皮膚の刺激作用により切り傷からハンセン病、梅毒、皮ふ病まで幅広い病を受け入れてきました。(〜草津温泉 - Wikipediaより)
『御汲上げの湯枠』
御汲上げの湯枠 湯畑の源泉の中に、四角に組まれた木の枠が沈んでいます(写真上)。この木枠の中の湯は『御汲上げの湯』と呼ばれています。八代将軍吉宗や十代将軍家治が、この湯枠の湯を樽詰めにして江戸場へ運ばせたことで知られています。また、徳川家康が豊臣秀吉に勧められて草津の湯を江戸城へ運ばせて入浴していたことも近年明らかになったそうです。
『湯もみ体験』ができる『熱の湯』
湯もみ 草津温泉独特の入浴法として『時間湯』があります。温泉の成分を出来る限り変化させずに入浴するために、熱いお湯を水で薄めずに湯もみ板で湯をもみ、湯長の号令で一斉に入浴し、3分間の入浴を行ないます。最盛期には6湯で行われていましたが、現在は千代の湯、地蔵の湯の2湯で行われています。(〜草津温泉 - Wikipediaより)
湯畑沿いのお土産屋や飲食店
源泉 草津温泉の源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほか、ホテル等が所有している小源泉も多数存在します。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温も50〜90℃前後と高い。主な源泉として、湯畑のほかに、白旗(しらはた)、西の河原(にしのかわら)、綿の湯、熱の湯、ゆりかご橋、万代鉱(ばんだいこう)、香草(かくさ)などがあります。
湯畑沿いのお店
宿泊施設および観光客数 草津温泉には旅館やホテルなどの宿泊施設が171あり(草津温泉旅館協同組合の公式ホームページでは、草津温泉にある100以上の宿泊施設を案内しています)、総収容人員数は、12,531 人/日で、年間浴客数は約280万人に上っています。(〜草津温泉 - Wikipediaより)
草津山 光泉寺
遅咲き如来 光泉寺(こうせんじ)は、真言宗豊山派の寺院で、養老5年(721年)薬師堂が行基によって創建したと伝えられます。その光泉寺の釈迦堂にある釈迦如来像は、元禄15年(1702年)、奈良東大寺公慶上人によって作像されたと伝えられていましたがそれはあくまで伝説上のことでしかありませんでした。
『遅咲き如来』
ところが、平成17年(2005年)の調査によって、そのことが事実であると証明されました。300年を経て世に出た仏様であることから、以来『遅咲き如来』として地域の人々に改めて信仰されています。『今まであまり花を咲かされなかった方々、これからもう一花咲かせたいと願っている皆様、是非お参りし、願いを叶えて頂きます様祈念申し上げます。山主』とあります。
『白旗源泉』と共同浴場『白旗の湯』
白旗源泉  源頼朝が建久4年(1193年)8月3日、浅間山麓で巻狩をした時たまたま湧き出す温泉を発見して入浴したと伝えられている源泉。当時は『御座の湯』と称されていましたが、明治30年(1897年)に、源氏の白旗に因んで『白旗の湯』と改称されました。湯畑の目の前に位置しながら、湯畑とは異なる独自の源泉です。
湯畑からすぐの『大阪屋』のあたり
大阪屋 今回宿をとったのが、湯畑から徒歩1分のところに建つ老舗旅館の『大阪屋』。名前は、初代の中沢市郎左衛門が江戸の豪商・大阪屋孫八のもとに修行し、草津に帰って『大阪屋』と名乗ったことに由来するそうです。泉質は湯畑源泉。大阪屋の湯は湯畑から近いため、泉質を空気中で劣化させる事無く、良質な状態で供給されています、とあります。
籠(かご)に活けられたつつじ
つつじとナナカマドの花 石楠花(しゃくなげ)の時期(5月上旬〜中旬)を過ぎて、『つつじ』と『ナナカマド』の花の咲く時期でした。7度竃(かまど)に入れても燃えないということから名前が付けられたというナナカマド。秋になると、たくさんの真っ赤な実をつけます。草津温泉には、 ナナカマドの実がいっぱい生った年は、雪が多いという伝説があるそうです。
客室から見えたナナカマドの花。背後につつじ。
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