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こやのせじゅく 木屋瀬宿 |
木屋瀬三丁目広場 |
江戸時代に整備された 脇街道の一つで、豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、 肥前国長崎(長崎県長崎市)に至るのが長崎街道です。 |
木屋瀬宿の案内板 |
長崎街道は、 57里(約223.8km)の道程で、途中に25の宿場が 置かれていました。 |
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江戸あかりの民藝館 |
街道と遠賀川(おんががわ)の 水運で栄えた宿場町で、旧街道沿いには当時の町並みが残っており 往時の面影を今に伝えています。 |
虫籠窓(むしこまど)の残る家 |
かつて 東構口(ひがしかまえぐち)から西構口(にしかまえぐち)までの約900mの間に、 本陣や代官所、旅籠(はたご)などがありました。 |
古い白壁の商家 |
平成13年(2001年)、 御茶屋(本陣)・町茶屋(脇本陣)跡地に北九州市立長崎街道 木屋瀬宿記念館が開館しました。 |
小っちゃな美術館・もやいの家 |
お土産処『もやいの家』では、 ひな祭りの時季に、江戸期からの古道具や木屋瀬の歴史を感じさせる 古式ゆかしい雛飾りを展示します。 |
小っちゃな美術館・もやいの家 |
宿場の雰囲気を今に伝える 家並みを背景に、毎年11月の第一日曜日には町全体の取り組みとして 筑前木屋瀬宿場まつりが開催されています。 |
郡屋(家)跡(ぐんやあと) |
郡屋跡(写真上)は、郡内の 村役人と藩の役人の集会所で、大名などの通行の割当、年貢の調整、普請の打合わせなどを 相談しました。宿駅などに置かれ、郡屋守一人がいました。 |
問屋場跡(野口家) |
問屋場は人馬継や飛脚・荷物を 取り扱う所でした。仕事上問屋場前は広場になっていて、道路幅も他が5メートル程であったのに対し、 7.5メートルと広く、また水害に備えて宿内で一番高い位置にありました。 |
みちの郷土史料館(写真中央、右の建物が問屋場跡) |
最後の問屋は野口家で、 長崎街道沿いに飛脚井戸も残っています。また、明治4年(1871年)木屋瀬郵便取扱所の開設のとき、 野口家が初代の郵便取扱人になりました。 |
北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館 |
北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館は、 芝居小屋風のこやのせ座と、民具や旅の携帯品、古文書などを展示した みちの郷土史料館からなる施設になっています。 |
白壁沿いの路地裏 |
長崎街道には、諸大名や長崎奉行などが 泊まる御茶屋(おちゃや、本陣)や、その家臣などが泊まる町茶屋(まちちゃや、脇本陣)が設けられていました。 これらの茶屋は庶民が泊まる旅籠(はたご)とは一線を画していました。 |
永源寺 |
永源寺は曹洞宗のお寺で、 初めは、金剛寺として八幡西区の金剛にありましたが、応仁年間に兵火に遭い、大永3年(1523年)に この地に移り、大儀山永源寺と称しました。 |
須賀神社(すがじんじゃ) |
須賀神社は、永享年間(1429〜1441年)に 勧請され、その後乱世によって荒廃しましたが、寛永2年(1625年)に地元の 豪商伊藤宗伯が再建したといわれています。 |
宗祇(室町時代の連歌師)の碑 |
須賀神社は、江戸時代までは、 祇園社と称していました。参籠殿には江戸時代や明治時代に 奉納された絵馬が多数保存されているそうです。 |
祇園山笠会館 |
須賀神社の向かい側にある祇園山笠会館は、 毎年7月に開催される祇園祭の山笠(やま)を納めてある会館です。木屋瀬祇園祭の山笠は、 9メートルもある『岩山』と称される巨大なものだったそうです。 |
船庄屋(梅本家) |
江戸時代、木屋瀬には、 年貢米の集積場である本場(米場)が置かれ、その運搬は権利をもった24艘の川ひらた(川舟)に 限られていました。その24艘の管理が船庄屋でした。 |
船庄屋(梅本家)の軒下から見る通り |
梅本家の現在の建物は、 江戸時代末期の建築で、木屋瀬を代表する町家の一つです。平入りの切妻造りで、 外壁は大壁造り、かつて屋根は草葺だったそうです。 |
愛宕山護国院(あたごさんごこくいん) |
愛宕山護国院は、室町時代に八幡西区香月の聖福寺(天台宗)の 末寺として建立されました。ここに奉納されていた板絵著色木屋瀬宿図絵馬(市の有形民俗文化財)には、 江戸末期から明治初期の木屋瀬宿の様子を描いているそうです。 |
高崎家住宅(伊馬春部生家) |
高崎家は江戸時代から続く商家で、この建物は 江戸時代末期の宿場建築物として北九州市有形文化財に指定されています。また、『向う3軒両隣り』などラジオの全盛期に 活躍した放送作家・伊馬春部の生家で、ゆかりの品物が展示されています。 |
村庄屋跡(松尾家) |
木屋瀬には、村全体を統括する村庄屋、 旅籠など宿内を統括する宿庄屋、川船を管理する船庄屋の3つの庄屋がありました。松尾家は問屋場の 人馬支配役となった後、安政5年(1858年)に村庄屋を務めました。 |
追分道標 |
『従是右赤間道、左飯塚道』 (右が赤間へいく道、左は飯塚へいく道と)と刻まれた道標で、二つの街道が枝分かれする木屋瀬ならではの史跡。 現在建っているのはレプリカで、当時のものは木屋瀬宿記念館に展示されています。 |
輿玉神社(こしだまじんじゃ) |
輿玉神社は、かつて赤間道への 渡し場があった遠賀川の川辺にある神社で、旅の安全を守る猿田彦神がまつられ、正徳5年(1715年)に 創建されました。8月の例祭には子供角力が奉納されるそうです。 |
遠賀川堤防の大銀杏 |
木屋瀬宿記念館近くの遠賀川の 堤防上にある銀杏の大木はかつて渡し場の目印となっていました。道路は木を避けて舗装され、 大銀杏を中央に上下一車線ずつに分けて走っています。 |
遠賀川 |
【DATA】 北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館 〒807-1261 福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3-16-26(TEL 093-619-1149) 公共交通:筑豊電鉄・木屋瀬駅下車 徒歩5分/車:九州道八幡ICから4km(10分) 駐車場あり、料金 入館200円、開館時間 9時〜17時30分(入館は〜17時) 休み 月曜(祝日の場合は翌日) |
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