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旅行記 ・四天王寺庚申堂 − 大阪市 2014.06
してんのうじ     こうしんどう
四天王寺・庚申堂
四天王寺・庚申堂の正門
 四天王寺の南門から 300m程
南にある四天王寺・庚申堂は、青面金剛童子
(しょうめんこんごうどうじ)を祀り、
日本の庚申信仰発祥の地といわれています。
四天王寺・庚申堂(本堂)
 本堂は
1618年(元和4年)に建立されたお堂でしたが、1945年(昭和20年)の
空襲で焼失してしまいました。
 
庚申堂の扁額 
 現在の建物は、
1970年(昭和45年)の大阪万博の際に、日本仏教会によって休憩所として
造られた法輪堂をそのまま移築したものです。
青面金剛童子の幟(のぼり)
良医の薬を求め、高僧の祈りを求めるなどさまざまなことを行うも、何の効果も得られません。この頃、津の国四天王寺に僧都・豪範という貴い僧があって、広く人間の悩みを助けようと天に祈り続けていました。すると、天宝元年( 701年)庚申年の正月7日庚申の日に、年の頃16才くらいとおもわれる一人の童子が現れ、守庚申の作法を授けたといわれます。その童子は、帝釈天(たいしゃくてん)の使者である青面金剛だとし、これを。庚申尊と名付けて、境内に庚申堂を建てて祀りました。
庚申信仰と四天王寺・庚申堂
『庚申信仰』(こうしんしんこう)は 道教の影響を受けた日本人の信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来していています。人間の体内には三尸という三匹の虫が住んでいて、庚申の日の夜になると、人間が眠っている間に体内から抜け出して天に昇り、道人にその人間の犯した罪を訴えます。すると、その罪によってその人間の寿命は短くなります。そこから、庚申の夜は徹夜して過ごす『庚申待ち』という慣わしが生まれました。今から1300年ほど前の飛鳥時代は文武天皇の御代( 697〜 707年)、いろいろな疫病が流行し、諸人が大いに悩み苦しみます。
四天王寺・庚申堂の由来
『三猿』の絵馬
庚申信仰では猿が
庚申尊の使いとされ、青面金剛像や庚申塔には『見ざる、言わざる、聞かざる』の
三猿が添えて描かれることが多いでした。
三猿を祀る『三猿堂』
三猿堂には、
『見ざる、言わざる、聞かざる』の三猿が安置されていて、
庚申の日には開帳されます。
『七福神』の石像
三尸(さんし)の虫は、
コンニャクが嫌いということで、60日に一度巡ってくる庚申の日には、境内に
コンニャク店が出て、参拝者で賑わうそうです。
庚申堂の境内
四天王寺南大門前を起点として
南へ庚申堂前を過ぎ、平野区長吉川辺町で古市街道と合流していた
街道は『庚申街道』と呼ばれていました。
庚申街道(前方に四天王寺南門)
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