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青面金剛童子の幟(のぼり) |
良医の薬を求め、高僧の祈りを求めるなどさまざまなことを行うも、何の効果も得られません。この頃、津の国四天王寺に僧都・豪範という貴い僧があって、広く人間の悩みを助けようと天に祈り続けていました。すると、天宝元年(
701年)庚申年の正月7日庚申の日に、年の頃16才くらいとおもわれる一人の童子が現れ、守庚申の作法を授けたといわれます。その童子は、帝釈天(たいしゃくてん)の使者である青面金剛だとし、これを。庚申尊と名付けて、境内に庚申堂を建てて祀りました。 |
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庚申信仰と四天王寺・庚申堂 |
『庚申信仰』(こうしんしんこう)は 道教の影響を受けた日本人の信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来していています。人間の体内には三尸という三匹の虫が住んでいて、庚申の日の夜になると、人間が眠っている間に体内から抜け出して天に昇り、道人にその人間の犯した罪を訴えます。すると、その罪によってその人間の寿命は短くなります。そこから、庚申の夜は徹夜して過ごす『庚申待ち』という慣わしが生まれました。今から1300年ほど前の飛鳥時代は文武天皇の御代(
697〜 707年)、いろいろな疫病が流行し、諸人が大いに悩み苦しみます。 |
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