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旅行記 ・小坂鉱山事務所 − 秋田県鹿角郡小坂町 2016.07.14
 国重要文化財
小坂鉱山事務所
旧小坂鉱山事務所
小坂鉱山(こさかこうざん) 小坂鉱山は、秋田県鹿角郡小坂町にあった鉱山である。幕末の文久元年(1861年)、のちに小坂鉱山となる銀鉱が発見され、慶応3年(1867年)盛岡(南部)藩の命を受けた大島高任(おおしまたかとう、1826〜1901年)が我が国初の洋式溶鉱炉2基の精錬所の建設を計画。
『合名會社藤田組小阪鑛山事務所』
その後、明治政府に没収され官営となり、明治3年(1870年)には溶鉱炉が完成、明治5年にはイギリス式分銀炉も設置された。明治6年(1876年)12月、明治政府がドイツ人鉱山技師クルト・ネット―を招き、我が国初の湿式精錬法を導入。明治17年(1884年)には政府から大阪の藤田組(現在のDOWAホールディングス)に払い下げられた。
旧小坂鉱山事務所
明治の中頃までは、銀の鉱山として栄えたが、その後、銀の産出量が減り閉山寸前まで追い込まれたときもあった。明治33年(1900年)に所長に就任した久原芳之助(くはらふさのすけ、1869〜1965年)は、金・銀・銅・亜鉛などが含まれる『黒鉱』から銅などを分離する『黒鉱自熔製錬』の確立に成功。閉山の危機を乗り越え新しい精錬所を建設。
ケヤキを用いたモダンならせん階段(写真上、写真左下)
藤田組の社名がデザインされたバルコニーの透かし彫り
明治35年(1902年)には、大規模な溶鉱炉や大煙突が完成し、日本有数の大鉱山として歴史を残すことになる。やがて製錬技術が向上すると黒鉱から採れる銅や亜鉛、鉛の生産が主体となった。久原芳之助は小坂に理想社会を建設しようと考え、自家用発電設備のほか、鉱山内の建物の近代化が図られた。
バルコニーからの眺め
山の中にアパート、劇場、病院、鉄道等の近代的なインフラストラクチャー整備が進められた。明治38年(1905年)には旧小坂鉱山事務所、明治43年(1910年)には芝居小屋の康楽館(いずれも国の重要文化財に指定)が竣工。第二次世界大戦直後には資源の枯渇等を理由に採掘が中断されたが、1960年代に入り新鉱脈が発見されると採掘が再開。平成2年(1990年)まで存続。〜 小坂鉱山事務所 - Wikipedia および『鉱山が遺した近代化産業遺産』(小坂もちづくり株式会社2015年2月発行)を参考。
オープンな感じのガラス窓
小坂鉱山事務所 明治38年(1905年)に小坂鉱山の事務所として建設。ルネサンス様式の外観を残す建物は、平成9年(1997年)まで事務所として使われていたが小坂製錬の工場増築に伴い解体され、建物は小坂町に無償譲渡された。平成13年(2001年)、小坂町の明治百年通り構想により、旧小坂鉱山病院跡地に移転復元され、新たに観光施設として生まれ変わった。
2階中庭
移転するに当たっては、完成当時の状態を再現するため、壁面はモルタルから白い漆喰に変更、屋根もトタンからバルコニーは完成当時の杉板ぶきに、それ以外は耐久性から銅板ぶきに変更した。ランプなどの室内の小物に関しても当時の設計図を元に作り直した。平成14年(2002年)には康楽館とともに国の重要文化財に指定されている。
展示室(小坂鉱山の歩み)
中にはアミューズメントアトラクションやレストラン藤田倶楽部、土産店、着物スタジオがある。当地には、明治41年(1908年)にルネサンス様式の小坂鉱山病院が建設されたが、昭和24年(1949年)の火災により建物が焼失。その後も小坂鉱山病院は引き続き当地で診療を続けていたが、平成9年(1997年)に閉院し建物も解体された。創建当時の遺構として、敷地内には霊安室のあった建物だけが『旧小坂鉱山病院記念棟』として保存されている。〜 小坂鉱山事務所 - Wikipedia より。
所長室
 
きゅうでんれんじょうつまかべ
旧電錬場妻壁
 旧電練場妻壁
旧電練場妻壁 このレンガ壁は、移転前の小坂鉱山事務所正面に位置した旧電練場(現電解工場、明治42年)妻壁です。旧電練場は当初寄棟屋根でしたが、大正初めに切妻に改造され、藤田組の社章が表示されました。平成9年の増築に伴い妻壁は解体されたため、歴史的建築物の記念として、その一部をここに復原したものです。〜現地案内板より
 
モニュメント(事務所を見上げる鉱山技師夫婦)
国登録有形文化財
旧小坂鉱山病院記念棟
旧小坂鉱山病院記念棟
旧小坂鉱山病院記念棟 明治41年(1908年)に秋田県内一の総合病院としてこの地に建設された。ルネッサンス風外観の本館は小坂鉱山を代表する建築物の一つであったが、昭和24年(1949年)に惜しくも焼失した。平成9年小坂鉱山病院は89年におよぶ歴史に幕を閉じ、翌年この建物だけを残し病棟も解体され、跡地の小坂鉱山事務所が移設された。〜現地案内板より
綺麗な花壇
国登録有形文化財
旧聖園マリア園『天使館』
モニュメント(シスターと子供)
旧聖園(みその)マリア園『天使館』 聖園マリア園は、昭和6年(1931年)小坂鉱山の協力を得た聖心愛子会(現聖心の布教姉妹会)会長シスター・テレジアにより、鉱山従業員子弟の幼児教育機関として設立された。この園舎は昭和7年(1932年)に現在地に建てられ、こばと会への経営譲渡を経て、平成4年(1992年)の新築移転まで使用されたものである。平成14年(2002年)3月創建時の姿に修復。当初の名将『聖園天使園』にちなんで『天使館』と命名された。〜現地案内板より
 旧聖園(みその)マリア園
 
赤煉瓦倶楽部(旧原動室/配電所)
モニュメント(とおりやんせ)と赤煉瓦倶楽部
赤煉瓦倶楽部(旧原動室/配電所) この建物は機械器具を製作する工場であった『鍛冶製罐場』に電気を供給する配電所で、小坂鉱山内の工場施設に多く使われていた『木骨煉瓦造』の建物として貴重な建物。明治37年(1904年)に建築され、平成26年(2014年)移設・復元。平成27年(2015年)にカフェとしてオープン。
紫陽花と噴水
 
   旅行記 ・康楽館
 
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